
13年前からブローニュ・ビヤンクール市の主催で、市内の青年たちが強制収容所を訪れている。このツアーは、青年たちに特別な感銘を与える。3月15日、市内の公立および私立の生徒109人が、3人の元囚人*であるYvette Broder、Yvonne Lévy、Maurice Clingとともにアウシュヴィッツを訪れた。僕もこのツアーに参加した。
* ブローニュ・ビヤンクール市から104名が、強制収容所に送られた。
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ファシズム、ヨーロッパを威嚇
ヨーロッパではファシスト体制と専制的体制との間に連帯が生まれ、攻撃的な拡張主義に寄与した。だからといって、独裁国家が同質という訳ではない。
暴力を手段とする政府
テロリズムリズムは、ファシズム体制およびナチズム体制の中心問題である。過激な暴力は強制の手段であるばかりでなく、賛美すべき価値でもあった。
ファッショ体制は、安定した手法で自らを組織しようと努める。唯一の党を用いて、国家を統制することに成功した。新しいエリートたちは、一人の指導者、「総統」Führer あるいは「統領」Duceを陰のように支えることを自らに課した。

街をパトロールする警官と突撃隊員(1933年)
□1920年、ドイツ社会とイタリア社会を暴力が吹き抜け、国家は合法性を喪失した。
1.政治的、社会的民主主義の危機
→ワイマール共和政、このドイツで初めてのデモクラシーは、脆弱だった。敗戦から生まれたこの共和政は、Diktat*を負わなければならなかった。1919年のスパルタクス革命のなかで生まれたワイマール共和政は、軍隊の力を借り革命を鎮圧に成功したが、エリートたちを安心させるまでには至らなかった。政界では、三党(社会民主党SPD、カトリック中央党、自由主義右派[民主党および国家自由党])に依存した。
*一方的に押しつけられた和平と戦後処理―領土の割譲と巨額な賠償金