ひと月延びた。招集がかかって三度の延期の後のひと月である!それは人々が食糧不足に苦しむ、ひと月なのだ!この長かった待機の間、富裕身分は休眠を決め込んで、全てにかかる出費を引き延ばしていたことに注目しよう。働くことを止めたのにである。自分の腕と日雇い仕事でしか、その日の食い扶持を稼ぐことができない者は、仕事を探しに行き、見つからないときは乞食をし、貰いがないときには盗みをするしかないのだ。いくつもの飢えた一団が国内を荒らし回った。これらの集団は、抵抗があれば怒り狂って人を殺し放火をした。恐怖が遠くまで広がった。そして通信が途絶え、飢饉が増大した。荒唐無稽な話が無数に流布した。盗賊は、宮廷が金で雇ったというのである。宮廷はというと、その非難の矛先をオルレアン公の方に向けさせようとした。
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5月7日、第三身分はマルーエとムーニエの提案に従い、聖職者と貴族に対し、議場に来るよう働きかけるために数人を派遣することにした。貴族身分は一歩進めて、自分たちで議会を構成した。聖職者身分はさらに分裂を深め、ますます臆病になり、成り行きを見守ることにした。それに高位聖職者は、時間をかければ司祭たちを味方にすることができると信じていた。
5月6日、第三身分の議員たちは大広間を占拠した。ドアに詰めかけていた群衆が、待ちきれなくなって、議員たちの後を追いかけてきた。
貴族も、聖職者も、それぞれに自分たちの会場に落ち着いた。そして時を置かずに、議員としての資格を身分ごとに審査すること、審査は身分ごとの会議の中でおこなわなければならないことを決議することにした。貴族の中では圧倒的多数意見となったが、聖職者の中ではぎりぎり過半数であった。司祭の大部分は、第三身分と合流することを望んだのである。
宮廷は古書を調べさせ、おぞましい中世の儀典の細目、位階の対比、貴族社会の家柄と敵対関係を知る手がかりを探し出した。むしろ葬るべき代物であろう。ボルテールの後に、あるいは「フィガロの結婚」が上演された後に、紋章、肖像画、標章などを持ち出すのは、今や時代遅れである。それは収集家が宮廷に骨董趣味の手ほどきをするというよりも、選挙によって国王たちを産み出した庶民に屈辱を与え、見下し、自らの卑しいルーツを彼らに思い起こさせるという密かな快感であるというのが本当のところであろう。弱者というものは、土壇場で強者に屈辱を与えるという危険な気晴らしをするものである。