結局のところ、議会の気がかりは国民の食料であった。行政が他の権力と同様に弱体化しているので、唯一正常な機能を果たしている立法府が、行政府の機能に介入せざるを得ないのである。議会は食糧問題を解明すると思われる情報を、議会の食料委員会にも提供することを要求した。この情報は、国王自ら聖職者の議員団に提供したものだった。しかしその時の情報については、国王はもう提供するつもりはなかった。
朝、投票が始まろうとする時、議長は国王の手紙を手渡すために国璽尚書に召喚されたことを知らされた。この国王の手紙は、三身分の協力なしに何事も進まないと諭す内容である。それは絶妙のタイミングで、100名の反対者に手本を示し、長い論議のきっかけを作り、多数の優柔不断の者たちを不安にさせ、その意気を挫くであろう。
ではどんな名称を選択すべきであろうか?
ムーニエとイギリスの政治形態の模倣者たちは、次のような名称を提案した。少数部分の欠席のなかでの国民の「多数部分」の代表というものである。これは国民を二つに分裂させ、二つの議会の設置に導く表現である。
ミラボーは、フランス人民の代表という表現の方を好んだ。この言葉は弾力に富み、その意味するところは、伸縮自在である。