パリにとって不安なのは、国民議会の無気力さである。7月11日、国民議会は上奏に対する国王の回答を受け取ったが、それで満足した。しかし一体、どのような回答だったのか?それは、軍隊は議会の自由を保障するためにそこにいるのであって、もし猜疑心を抱かせるのであれば、国王はノワイヨンかソワソンに軍隊を移動させる、つまり2部隊か3部隊の配置に留めるというものであった。ミラボーは、軍隊の退去を強く求めるというところまでしか行きつけなかった。聖職者と貴族の500名の議員の結束が、議会を苛立たせたのは明らかである。議会はこの大問題をひとまず脇において、ラファイエットが提起した人権宣言に耳を傾け始めた。
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朝の早い時間、ヴェルサイユの議会の扉の前に若者たちがいた。そこで彼らが目にしたものは、寒々とした光景ばかりである。兵士の反抗、破られた監獄、ヴェルサイユにいるとどれも緊迫した事態に感じられる。ミラボーはこの問題には触れず、パリ市民に節度をもたせるためにひとつの上奏文を書いた。人びとは、これは国王にのみに関係する問題であり、国王に寛大な措置を嘆願するしかないことを表明するという考えに落ち着いた(議会にとりなしを求めようとする者を納得させることにはならない)。
しかし宮廷も、パリも、妥協を欲しない。全てが公然と暴力に向かっている。宮廷の軍人たちも、行動を起こしたくてうずうずしているのである。すでにフランス衛兵隊の大佐であるドュ・シャトレが、部下の兵士のうち、議会に背くいかなる命令も拒否すると誓った11名を修道院に移した。しかし彼はそれで満足しなかった。兵士たちをこの軍の檻房から引きずり出し、窃盗犯を収容する監獄に送り込もうとしているのである。そこはおぞましい掃きだめのようなところで、徒刑囚と性病患者を集め、同じ鞭で服従させる病院を兼ねた監獄である。そこに埋もれ死を待つだけだったというラチュード*1 の恐ろしい体験は、ビセートル監獄の実体を暴露し、はじめて闇の部分に微光を投げかけた。そしてミラボーが最近出した本は、読む者に吐き気を催させ、怯えさせた。そこへ、ひたすら法のための兵士でありたいと望む者を囚人として収監しようというのである。
その夜、人民の友である貴族の合流を知って、パリは喜びに沸いた。そしてカッフェ・ドゥ・フォワでおこなわれている議会へ殺到した。大急ぎで、その大部分は読みもしないで声明文に署名した数は、3,000名に達した。文はなかなか達者に書かれていたが、次のようなオルレアン公についての風変わりな言葉も交じっていた。「この公衆より敬愛されし大公」。まさにこの男にしてこの言葉であり、物笑いの種になりそうだが、かといって政敵がよりましな言い方をするわけでもない。どうやらオルレアン公の不器用な事務屋は、思い切った讃辞ほど酬われるものも大きいと信じている様子である。
あの窓を見てみよう。私には、そこに白い女と黒い男がはっきりと見える。オルレアン公の相談役、徳と悪徳、すなわちジャンリス夫人とコデルロス・ドゥ・ラクロである。二人の役割は、明確に分かれる。すべてが虚偽であるこの館では、徳はジャンリス夫人によって体現される。すなわち冷淡さとセンチメンタリズム、涙とインクのほとばしり、まやかしの模範教育*1、可愛いパメラ*2 の常設展示場など。館のこちら側には慈善活動の事務所があり、選挙の前日には慈善活動が騒がしく準備される。