社会的リスク 個人の社会的負債を論じたレオン・ブルジョアは、その個人が予想しなかった病気、労働災害、強いられた失業などの不幸(彼は社会的な悪と呼びます)に襲われることにも目を向けます。たまたま不幸な事態に追い込まれた個人は、他のすべての個人にとって同じ立場の人間である。それは社会的なリスクであり、すなわちその原因は個人の外にあり、個人が生きる社会の状態から生じるものであるといいます。
それゆえ「社会はその構成員のひとりひとりに、生存、生命そのものに対する最低限の保障をすべきである。無駄遣いをしている人の脇で、人が餓死するのは許容できないと思うことは自然である」と。そして「もっとも公正な『経済的な考え』は、『人間的資本の保護』にあるのであり、救われた人は、『救われた労働』であり、ゆえに資本そのものにとっては『救われた資本』である」。「経済的な秩序においても、政治的秩序においてと同じくらい、人間の権利について論ずることができる」ともいっています。
社会保障制度の前進 こうしてレオン・ブルジョアは、子ども、身体障害者、貧窮している老人にたいする財政的な保障、あるいは事故、失業、病気といった社会的なリスクにたいする互助的な保障制度の発展にたいする指導的な役割を、国家に求めました。彼はこうした考えをパンフにして普及させるとともに、全国を講演してまわりました。1898年には、雇用主に労働事故の責任を認めさせる労働災害補償法の成立に力を注ぎました。 また彼はパストゥールの細菌についての学説に啓発され、公共衛生の普及にも努めました。病原菌の伝染は、社会全体に広がる社会的悪であり、リスクを最小限に抑える義務が社会にはあるとして。
レオン・ブルジョアがめざしたのは、ドイツのビスマルクが推進したような、国が直接責任を持つ社会保障制度ではなく、連帯を基礎とした相互扶助を国が支えるという社会保障制度でした。その後フランスでは労働者と農民を対象とした年金法(1910年)、低所得者にたいする社会保障(1928年)、すべての労働者を対象とした家族手当(1932年)などの制度が、不十分ながら実現しました。
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連帯の思想 フランス革命以後共和主義者は、個人と国家の関係を無媒介的に向き合うものとして考えてきました。しかし19世紀になると産業化と都市化がすすみ、とりわけレッセー・フェ―ルの政策は、さまざまな社会問題を産み出しました。フランスは、革命以来の個人と全体の関係をさらに発展させる原理を必要としたのです。さまざまな理論が展開され、そのひとつに「連帯」の思想がありました。
「連帯」の概念は、ダーウィンの「種の起源」を契機とした生物学への関心を背景に、哲学や社会学の分野で探求されました。自然界における生物の相互依存(自然的連帯)を、人間社会においても認めようとする考え方です(社会的連帯)。そしてこの「連帯」の概念を、現実に社会をうごかす理論として体系化し広めたのが、第3共和制の政治家レオン・ブルジョアでした。
社会的負債 レオン・ブルジョアは連帯を探求した先輩たちにならって、人間を、社会を構成する他のすべての人間との関係においてだけではなく、自分につながる世代との関係においても考えます。つまり同世代においては他の人間が生産したものやサービスを享受し、また生まれたときから先人が残した物質的かつ精神的な社会的遺産の恩恵に浴しているというのです。つまり「人間は、人間社会の負債者として生まれてくる」のです。たとえば道具を例にとっても、「われわれ自身の中に溶け込むよう、過去において絶えず手が加えられた」のであり、言葉も、「言葉のひとつひとつは、無数の祖先が蓄積し定着させてきたもの」なのです。そして親から独立して一人前になったときから、いわば「社会的負債」を負う負債者となります。「個人がその権利を行使するとき、つねに社会への負債を意識しなければならない」のです。 (連帯という言葉は、もともと法的な共同責任を指していました)
この債務は、同時代に生きる自分以外の人間に対してだけでなく、未来の世代に対しても負わなければなりません。この人格形成期に負った債務は二重の債務であり、社会に出て労働し(社会的遺産の維持)、なおかつ人類の発展に貢献する(社会的遺産の引継ぎ)ことによって返済しなければならないといいます。この自由の重しともいうべき二重の返済を終わったときに、人は完全に自由になると。
新年おめでとうございます。今年も「イル・サンジェルマンの散歩道」をよろしくおねがいします。
イラク人質事件と連帯 皆さんのご記憶にもあると思いますが、2004年8月20日、二人のフランス人記者がイラクで人質になる事件が起きました。シラク大統領は29日の演説で、「私は二人とその家族に、すべてのフランス人の名において、われわれの連帯と決意を述べたい・・ 釈放を勝ち取るまで、できうることのすべてをおこなおう」と国民に呼びかけました。テレビやラジオは連日、各界の有名人の連帯の言葉や自作の歌を流しました。パリ市庁舎には二人の顔を大写しにした幕が掲げられました。フランスはまさに「連帯」一色になりました。そして同年12月22日、二人の解放の報に接した大統領は、「二人はすべての国民とともに待ち望んだ解放を手にした・・・わたしは、この解放をもたらしたすべての国民の動員と団結に敬意を表する。国民はそれぞれの個性に応じて、団結と連帯と価値を発揮するために一つになった。・・・」と国民の連帯を讃えました。私が乗り合わせたタクシーの運転手は、「ビッグなクリスマス・プレゼントだ」といってにっこり笑いました。
フランスにおける「連帯」という言葉の歴史 ところで大統領が二度も使った連帯(ソリダリテ)という言葉は、最近のフランスでよく耳にします。「連帯は、人間の尊厳、自由、平等とならんで普遍的価値をもつ」、あるいは「友愛は今日、連帯の名をもつ」と述べる論者もいます。この「連帯」は、すでに19世紀の後半のフランスにおいて、現実に社会を動かす力をもつ言葉として登場しました。1890年代の終わりには、連帯の名によって社会保障制度、累進化税制などの諸制度が実現し、福祉国家フランスの基礎が形成されました。そして1900年に開催されたパリ万博は、この「連帯」を合言葉に開催されたのです。その後しばらくは人権という言葉に取って代わられ、あまり使われなくなりました。しかし今また、新自由主義による経済のグローバリゼーションの波と雇用の不安定化に直面する今日のフランスで新たによみがえりつつあります。