今日からパリの交通機関についてお話しします。まずパリ市交通公団(RATP)が運営する地下鉄、バス、そしてトラムがあります。数年前パリの南部に芝生の上を走る路面トラムが開通し、話題になりました。いまは3路線のトラムも、いずれは環状線としてつながることになっています。また最近は新たに水上バスがセーヌの上流で開通しました。そのほかにフランス国有鉄道(SNCF)の郊外電車(RER)が、パリと郊外を結んでいます(5路線のうち2路線はRATPと共同運行)。

パリの地下鉄は14の路線が走っています。1号線が開通したのが1900年、第3回パリ万博にあわせた開通でした。ちなみに世界最古の地下鉄がロンドンを走ったのは1963年です。14の路線は、日系フランス人の色彩デザイナーによって厳選された色で表されます。路線を思い浮かべるとき色まで付いてきます。地下鉄の駅は、全体で378を数えます。もっとも長い路線は7号線で、46の駅があります。
ドアの上部のパネルにある路線図の一部

車両は路線ごとに違います。最近の路線そして一番古い1番線は自動的にドアが開閉します。その他の路線は、乗客が自分で開けなければなりません。それもノブをまわして開ける旧式と、ボタを押して開けるドアの2種類があります。また路線によっては停車駅を知らせてくれますが、多くは自分で確認しなければなりません。車内には日本のようにつり革も網棚も、そしてつり広告もありません。2カ所のドア付近には、ポールと折りたたみ椅子があります。この折りたたみ椅子は混んできたとき場所を空けるために設置されているのですが、座った人が立つたびにバタンというすごい音を立てます。座席の配置も路線ごとに特徴があります。電車は左手からホームに入ってきます。
ノブ式のドア 右に回してドアを開ける

ボタン式ドア ボタンを押して開ける

折りたたみ式の座席 手前にポールがある

RATPの切符は、一度改札すると駅を出るまでに何回も乗り換えできます。また同じ切符でバス、トラムにも乗ることができます。運賃は、切符1枚が1.60ユーロ、10枚セットで11.40ユーロです。日本円に換算すると今のユーロ高を反映して、1枚256円(1ユーロ=160円換算)、10枚セットが1,824円と高めです。カルト・オランジュ(carte orange)という定期券もあり、1週間が16.80ユーロ、1月が55.10ユーロです。定期券は写真付きのケースにカルト・オランジュを入れ、バスやトラムでは運転手に見せるだけ、地下鉄では自動改札に通します。最近はカルト・オランジュからナビ・ゴー(これは1月と1年の定期)という、スイカーのようなカードに移行しつつあります。
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私のアパルトマンの近くに、イル・サンジェルマンという公園があります。セーヌ川の中州につくられた公園で、外周は約2.5キロあります。フランス情報誌のオブニによると、紀元前にはローマ人と先住民ゴール人との闘いの戦場にもなったそうです。修道院や軍の施設などの変遷を経て、60年にセメント置き場の計画を隣接する3市が反対、1980年に現在の公園になりました。
大小3つの芝生の広場、ポニークラブ、2つの犬専用の公園、花畑、そして自生の植物を活かした自然公園などがあります。2つの広場を分かつ高台には、デュビュッフェの有名なオブジェ、「顔の塔」が立っています。広場は週末になると、あちこちでピクニックの花が咲きます。コンサート会場、いろいろなイベントの会場にも利用されます。6月には移動遊園地が子どもたちを惹きつけます。ポニークラブは2つのグループに分かれ、幼年組は子馬に乗ります。犬公園は、犬はもちろん飼い主の交流の場にもなります。
花畑には季節の花が咲き乱れています。私がフランスに来て間もない頃、公園を散歩していた私に二人の小学生くらいの子どもが近づいてきました。花畑をつぶして建物を建てる計画に反対する署名を求めに来たのです。署名用紙には建築計画の設計図が貼り付けてありました。フランス国籍を持たないことを伝えると、次の署名を求めて去っていきました。いまだにその建物は建っていません。この国の底力を見たような気がしました。
朝この公園を散歩するのが、私の日課であり楽しみになっています。自然公園の中の小道がとくに気に入っていました。しかしジョギングコースを造るための大工事の後は、そこには一度も足を踏み入れていません。
この散歩道の右手にポニークラブがあります。

デュビュッフェの有名なオブジェ「顔の塔」

ポニークラブで子馬に乗る子どもたち

子どもたちが署名で守った花畑

イル・サンジェルマン公園の地図を示す掲示板

私が好きだった自然公園の中の小道

毎年6月に訪れる移動遊園地<夏の祭典 fete d'ete>
まず私が住んでいるブローニュ・ビーヤンクール(Boulogne Billancourt)市についてお話しします。パリの西側に隣接し、北のブローニュの森と南のセーヌ川に挟まれ、約6k㎡の広さを有する郊外都市です。人口は10万を数え、パリ近郊ではもっとも大きい都市です。
1920年代からルノーの工場の建築が始まり、ルノー城下町として栄えました。また36年(人民政府発足)のゼネスト、68年(5月革命)のゼネストと、労働運動の歴史を刻む拠点のひとつとなりました。このルノー工場も移転し、いまは跡地の整備がおこなわれています。また多くの名画を生みだした映画の街でもあります。「大いなる幻影」の監督の名を冠したジャン・ルノワール中学もあるくらいです。ドイツ軍占領下では、ドイツに協力したルノー工場を標的とした連合軍の爆撃に遭いました。ベルトラン・タベルニエ監督の「レセ・パセ」は、まさにその当時のビーヤンクールを舞台にした映画です。