勝利広場 Place des Victoires(2区)
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*これはフランスのLycée 1(高校2年に相当)で使われる文学・社会経済コースの仏独共同教科書です。
(資料)スペイン戦争
共和主義者が解釈した総師(フランコ) スペイン社会党と連携するスペイン労働総同盟UGTのために、Pedreroが作成したリトグラフ 1936年11月
*これはフランスのLycée 1(高校2年に相当)で使われる文学・社会経済コースの仏独共同教科書です。
ムッソリーニによるファシズムの基本的原理
*これはフランスのLycée 1(高校2年に相当)で使われる文学・社会経済コースの仏独共同教科書です。
第6節
イタリアにおけるファシズム<
最初のファシズム体制は、いかにしてヨーロッパに現れたか?>

新たなローマ帝国 1935年の黒シャツ隊の集会で、ローマ皇帝 Nerva (30-98)の像を前にしベニト・ムッソリーニ
冬のサーカス Cirque d'hiver (16区)
*これはフランスのLycée 1(高校2年に相当)で使われる文学・社会経済コースの仏独共同教科書です。
<歴史家の目> その2
Richard Bessel (1990年) 不運な要因の組み合わせ イギリスの歴史家Richard Bessel は、ワイマール共和政をヨーロッパというコンテキストの中で考える。
*これはフランスのLycée 1(高校2年に相当)で使われる文学・社会経済コースの仏独共同教科書です。
<歴史家の目> その1
ワイマール共和政は失敗するように運命づけられていたのか?
共和制は、あまり好きではないの?
「みんな文字は支えるが、その精神を支持するのは誰なのか?」
バンブーのがらくた市パリ郊外のバンブー市で、日曜日ごとに開かれるがらくた市を覗いてみました。
*これはフランスのLycée 1(高校2年に相当)で使われる文学・社会経済コースの仏独共同教科書です。
学習の足跡 Pistes de travail
*これはフランスのLycée 1(高校2年に相当)で使われる文学・社会経済コースの仏独共同教科書です。
第5節 ドイツにおける民主主義の危機(1929年-1933年)
(ワイマール共和政の崩壊をもたらしたのは何か?)
議会勢力の変遷

上から橙色 KPD(ドイツ共産党)、赤 USPD(独立社会民主党)、桃色 SPD(社会民主党)他、青 DVP(ドイツ国民党)、灰色 DNVP(国家人民党)、茶色 NSDAP(国家社会主義ドイツ労働者党ーナチ党)

フーゴ・プライス
国内の自由は、対外的な自由を必要とする
立憲主義者で内相であったフーゴ・プロイス(1860-1925)は、ワイマール憲法の草案作成に重要な役割を果たした。1919年2月24日、国民会議での演説において、自分のプランについて次のように語った。
*これはフランスのLycée 1(高校2年に相当)で使われる文学・社会経済コースの仏独共同教科書です。
第4節 ワイマール共和政(1918-1929)
ギュスターヴ・シュトレーマン(1878年~1929年)
1907年から国民自由党の政治家となり、1918年にドイツ人民党DVPを結成した。最初は王政主義者であったが、のちに「理性の共和主義者」となった。対外政策を評価され、フランスの外相、アリスティド・ブリアンとともに、ノーベル平和賞を受賞している。
ラ・トゥール・モブール広場 square de La Tour-Maubourg(7区)

1936年6月11日、ロレーヌの自動車工場におけるストライキ
<資料1>

1936年~1939年の議会多数派
共産党 72、社会党 147、社会急進党および左派諸党 157、中道-右派 82、右派 140
左は人民戦線、右は国民連合の勢力分野
*これはフランスのLycée 1(高校2年に相当)で使われる文学・社会経済コースの仏独共同教科書です。
第3節 人民戦線下のフランス

人民戦線の宣誓。1935年7月14日に組織されたデモ。人民戦線の選挙協力は、7月15日に公式に確認された。
(プラカードからは、次のような文が読み取れます。「我々は軍備縮小し、ファシスト諸連盟を解散させるために、公式の宣誓をする。民主主義的自由を守り、発展させるため・・・」

1934年2月6日、デモクラシーの危機―デモ隊と警察官の衝突
*これはフランスのLycée 1(高校2年に相当)で使われる文学・社会経済コースの仏独共同教科書です。
第2節
フランスにおける共和制の危機 <経済危機は、フランスの政治にどのような影響を与えたのか?>

「危機に立つ議会主義」
国家共和主義者の宣伝部のポスター 1934年 「議会体制の崩壊!」「憲法改正」と書かれている。
*これはフランスのLycée 1(高校2年に相当)で使われる文学・社会経済コースの仏独共同教科書です。
各節の終わりに、資料と質問が設けてあります。
<資料1>

(左上から下へ)共和制あるいは前共和制、君主制、非主権の君主制
(右上から下へ)民主主義の確立(茶)、共産主義体制(桃)、反民主主義の進行[君主制、ファシスト独裁](灰)
今日からフランスのLycée 1(高校2年に相当)の文学・社会経済コースの仏独共同教科書の中の、大戦間のフランスとドイツを紹介します。
自由民主主義の危機(1918年-1939年)
第1節 二つの大戦間の自由民主主義の変移
<ヨーロッパにおける民主主義の勝利を弱めたのは何か?>
民主主義体制の中でおこなわれた政治的動員 1919年の総選挙で運動中のドイツ社会民主党の党員たち
レンヌ通り Rue de Rennes (6区)
4.
守勢にまわるフランス
ミュンヘン会議から帰国したダラディエとボネ外相
ケ・デ・グラン・オーギュスタン大通り Quai des Grands-Augustins(6区)
3.
人民戦線
1936年7月16日のブルムとトレーズ
2.
危機にたつフランス フランスの歴史教科書

1934年2月2日、コンコルド広場でのデモ
サン・テティエンヌ・ドュ・モン教会とクローヴィスの塔 Église-Sanin-Étiennne-du-Mont et tour Clovis (5区)
正面がサン・テティエンヌ・ドュ・モン教会、右手にクローヴィスの塔 見えませんが、手前右手にパンテオンがあります。
フランスの歴史教科書の大戦間のフランス第1節「苦い勝利」です。

1926年、凱旋門でおこなわれた傷痍軍人のデモ
昨日、フランス・ドイツ共同教科書を手に入れました。
これからフランスの歴史教科書と仏独共同歴史教科書と比較しながら、両者を紹介していこうと思います。そしてナチス・ドイツについては、あらためて仏独共同教科書での記述を見てみたいと思います。ナチスのドイツ(18ページ)、ドイツ支配下のヨーロッパ(18ページ)と、二つの章で取り上げています。
それでは大戦間のフランスについて、両教科書の目次を比較します。
サン・ジェルマン・デ・プレ教会 Eglise Saint-Germain-des-Prés(6区)
私がイタリア・ファシズム、ドイツ・ナチズムそしてスターリニズムを最初に取り上げたのは、フランスの教科書がそれらをどのように扱っているかを知るためでした。それは思った以上に詳細であり、資料も豊富であることに驚きました。(もっともこの教科書は、文系と社会経済系(週4時間の授業)の高校の教科書です)私自身、この教科書で多くのことを学びました。
イタリア・ファシズムの結論のところでは、次のように書かれています。
「イタリア・ファシズムは、全体主義体制を規定する特徴を持っている。
①人権と個人の自由を軽視する。
②国家は個人と精神をコントロールしようとする至上の価値として現れる。
③戦争を賛美する。
④領土拡張主義と攻撃的な政策
ファシズムは、ドイツと日本に貢献し、第二次世界大戦を引き起すのに一役買った。」
ヒトラーは、ファシズムを徹底的に研究しました。そこでイタリア・ファシズムとドイツ・ナチズムに共通した特徴を挙げてみましょう。また日本の天皇制ファシズムとの共通点も考えてみましょう。