貴族身分は代表を先頭に、真っ先に彼らを救ったアルトワ伯[国王の次弟-訳注]のところへ駆けつけ、礼を言った。次いでプロバンス伯[国王の長弟-訳注]のところへもまわったが、彼は用心深く家に籠っていた。貴族の多くはまた、勝ち誇ったように目を輝かした王妃に面会した。王妃は娘に手を貸し、王太子を抱きながらこう言った。「王太子のこと、あなた方貴族にお任せします」。

ネッケル
同じ日の22日月曜日、ネッケルはまだ空しい闘いを続けていた。ネッケルの改革案は曖昧な穏健さを含んでいるので、自由にとってかえって有害であった。より単刀直入で、現実をありのままに掴み出した、もう一つの改革案が、ネッケルの案にとってかわった。ネッケルはもはや善と悪との罪深い調停人でしかなく、正義と不正義の間の見せかけの均衡を保とうとしていた。人民の機嫌をとり、人民の敵の機嫌もとるという具合に。最終的な会議が、月曜にヴェルサイユで開かれた。そこに招集された王弟や公爵たちが、このどっちともつかない調停者、合理と不合理が真正面からぶつかるのを邪魔するネッケルを排除したことは、自由にとって大いに役立ったのである。

1789年6月20日、球戯場(ジュ・ドゥ・ポム)の誓い。さまよう議会。クーデター、ネッケルの解決案、1789年6月23日の国王の宣言。議会が、分離することを拒否。国王、ネッケルに留任を求めるが、宣言の撤回はしない。
国王の妨害にもかかわらず、議会は球戯場において存続している。しかしこれから何をしたらよいのか?
10月31日、ヴェルサイユのJeu du Paume(ジゥ・ドュ・ポム、球戯場)に行ってきました。今年は開館が10月31日までと前夜に知ったので、あわてて訪れた次第です。しかし現地に行ってみると鍵がかかっています。通りがかりのアベックが、入れるのは土曜の午後2時からだよと、笑顔で教えてくれました。その笑顔の中に、なにか誇りと親近の混じったようなものを感じたのは、私の思い過ごしでしょうか?私たちが、たとえば金閣寺を外国の観光客に教えるのと違った・・・ともかく外観を写真に撮り、観光案内でパンフレットを貰い、サン・ルイ教会(球戯場を追われた国民議会が、次に落ち着いたところ)に寄って帰りました。