5月3日の憲法の日にちなんで、憲法について述べた、フランスの中学3年の公民教科書を紹介します。
フランス憲法
市民に奉仕する憲法第五共和制憲法は、シャルル・ド・ゴールが着想し、国民投票によって承認された後、1958年10月2日に発布されました。憲法は、市民の自由と平等を保障します。
憲法は、選ばれた代表者を介して、国民主権の機能を組織します。すなわち議会は立法権を、共和国大統領は行政権を、司法官は司法権を手にするのです。この[権力の] 分割は、一人の人物あるいはひとつの団体の自由裁量から市民を守ります。
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リュシー・オーブラック*1 、レジスタンス、市民としての資格を学ぶ学校
もしレジスタンスが、ナチスに侵略された祖国を解放するために愛国的闘いを組織しただけであったら、歴史の本にジャンヌ・ダルクの英雄的行為のような描かれ方をしたでしょう。要するにフランスの外では、閉じられた歴史の章のなかで、兵士たちがあらゆる近代兵器を駆使して闘っていました。それにたいして国内では、男も女も、待ち伏せ、列車爆破、手榴弾や軽機関銃での戦闘行為によって、非合法の戦争をしたのです。ここでは、歴史の章は閉じられていないのです。レジスタンスは、ナチス侵略にたいする勝利から半世紀を経た現在においても、デモクラシーの価値と市民としての誇りを取り戻すために、フランス人そして人権の国に受け入れられた外国人が、自発的にレジスタンスへ参加した例として生き続けているのです。
アムネスティ・インターナショナルは、企業は人権を守るために努力すべきであると考える。
アムネスティ・インターナショナル「企業のための人権諸原則」1998年1月
政府刊行物によって要約された市民の行動様式
市民であること―
ボランティアになること
ボランティア活動は、人の[能力の]開花、あるいは生活条件の改善をめざす活動に、いかなる報酬も要求しないで参加することです。
政府刊行物によって要約された市民の行動様式
市民であること―
それは陪審員になること
陪審員になることによって、市民は国家の三大機能のひとつ、すなわち司法権に参加することになります。
政府刊行物によって要約された市民の行動様式
市民であること―
それは地区委員会に参加すること
地区委員会は、地区の生活を活性化のために活動する人びとが結集した組織です。活性化はいろいろな形態をとります。
―監督・指導が必要な青年のための学習支援の授業
―青年も大人も参加できるスポーツ活動の組織化
―文化活動(演劇講座、歌唱講座など)
政府刊行物によって要約された市民の行動様式
市民であること―
それは、市民の公開討論会に参加すること
政府刊行物によって要約された市民の行動様式
市民であること―
それは請願書に署名をすること
請願書に署名すること、より広義には、あれこれの政策の変更を求める文書を提出することによって、政権担当者たちの注意を促すことは、市民の極めて伝統的な社会活動です。
政府刊行物によって要約された市民の行動様式
市民であること―
それは、ストライキをすること
ストライキ権は、憲法の精神を反映させた法律*1 が定着していたために、確立されるまでに長い時間がかかりました。1864年にストライキを共同謀議罪とする法律が廃止されましたが、実際にはストライキは依然として解雇の理由にされていました。しかしフランスでは、ストライキが社会生活のなかで重要な役割を果たすことを阻むことはできませんでした。ストライキ権が最初に確立されたのは、1946年の10月に制定された憲法の前文においてでした。曰く「ストライキ権は、それを規律する法律の枠内で行使される」。ストライキ権は、民間企業においては、それ以前にすでに認められていました。しかし公務部門においてはまだ、原則として禁止されていました。
政府刊行物によって要約された市民の行動様式
市民であること―
それは、デモをすること
デモをする権利は、民主主義の国において基本的な権利です。デモは、共通の信念を表現することを目的に、組織された人々が公道に結集することです。デモは一カ所にとどまることもできます(座り込むことさえできます-sit-inといいます)。しかしもっとも多いのは、隊列をつくって移動する形式です。デモは政治的および社会的生活における伝統的な行為であり、もっとも重要なことのひとつは、それが政界の外部において繰り広げられることです。
政府刊行物によって要約された市民の行動様式
市民であること―
それは情報を得ること
情報を得ることは、市民が社会生活を営むうえで必要なことです。新聞あるいは社会問題、国内政治、国際政治を論じる本を読むこと、情報を追うこと(テレビあるいはラジオを通じて)、インターネット上で、生じた問題にたいする反応を調べることなどは、市民の積極的な参加による大論争を促進します。

1963年マーティン・ルーサー・キングは、非暴力の活動によってアメリカの黒人の市民的権利を守らせることを望んだ。
我々は、いうならば小切手を現金に換えることを求めて、我々の国の首都に来たのだ。我々の共和国の建国者が、憲法と独立宣言の、あの素晴らしい条文を記したとき、一人ひとりのアメリカ人宛の小切手にサインしたのだ。それは生存し、平等であり、幸福を追求する、譲渡することができない権利を、すべての国民に保証する約束なのだ。
ファシズム、ヨーロッパを威嚇
ヨーロッパではファシスト体制と専制的体制との間に連帯が生まれ、攻撃的な拡張主義に寄与した。だからといって、独裁国家が同質という訳ではない。
暴力を手段とする政府
テロリズムリズムは、ファシズム体制およびナチズム体制の中心問題である。過激な暴力は強制の手段であるばかりでなく、賛美すべき価値でもあった。
ファッショ体制は、安定した手法で自らを組織しようと努める。唯一の党を用いて、国家を統制することに成功した。新しいエリートたちは、一人の指導者、「総統」Führer あるいは「統領」Duceを陰のように支えることを自らに課した。

街をパトロールする警官と突撃隊員(1933年)
□1920年、ドイツ社会とイタリア社会を暴力が吹き抜け、国家は合法性を喪失した。
1.政治的、社会的民主主義の危機
→ワイマール共和政、このドイツで初めてのデモクラシーは、脆弱だった。敗戦から生まれたこの共和政は、Diktat*を負わなければならなかった。1919年のスパルタクス革命のなかで生まれたワイマール共和政は、軍隊の力を借り革命を鎮圧に成功したが、エリートたちを安心させるまでには至らなかった。政界では、三党(社会民主党SPD、カトリック中央党、自由主義右派[民主党および国家自由党])に依存した。
*一方的に押しつけられた和平と戦後処理―領土の割譲と巨額な賠償金
これは、Nathan社の、「経済および社会科学事典」Dictionnaire d,Economie et de Sciences Socialesの中の、民主主義の項目に書かれた内容です。Lycée1(日本の高校2年)用です。
民主主義démocratie
ギリシャ語のdemos(人民)とkrasあるいはkratos(権力)の合成語。

花のアップをさぼりまして、4月初めの花たちを今頃紹介しています。桜はとっくに散ってしまいました。
他の国を見ると―ドイツは職業教育を重視した
われわれのパートナーであるベルリン(ドイツ)
25歳未満の失業率
1975年 6.8%⇒ 1985年 20.1%⇒ 1995年 22.2%⇒2011年 22.4%
学歴別の失業率
大学卒 9.3%⇒高校卒+2年 9.5%⇒高校卒あるいは職業資格者 14.6%
職業適性証CAP、職業教育免状BEP、同等の他の免状 19%、中学校卒 37.6%
他の免状 35.9%
世界の25歳未満の失業率(2012年1月)
ベルギー 21.2%、ドイツ 7.8%、アイルランド 29.6%、ギリシャ 48.1%、スペイン 49.9%、フランス 22,4%、イタリア 31.1%、オランダ 9%、イギリス 22.4%、アメリカ 16%
ヨーロッパ平均 22.4%
25歳未満の雇用契約の形態
無期限雇用契約 27.8%、非賃金労働者 2.4%、職業教育 15%、臨時雇い 5.9%
期限付雇用契約 48.9%
フランスの主要都市の平均手取り月額
18-20歳 857.8ユーロ、21-25歳 1,344.8ユーロ、26-30歳 1,694.4ユーロ
「人生は、ボクシングのようなもの。毎日が闘いだ。私は、ノックアウトされたくない」
原子炉は木曜日、2カ所の出火のあと停止した。原子力安全局は原発に緊急出動した。
Penlyの原発の状況に、原子力安全局ASNは懸念を抱いている。原発は出火を感知し自動的に原子炉の運転が停止したと、フランス電力公社EDFは発表している。しかしながら原子力安全局は木曜日の夕方のコミュニケのなかで、
「原子炉2号機の第1サイクル[燃料棒格納容器にもっとも近い]に異常な漏水」をEDFが発見した後で、緊急事態にある原発に出動したと述べている。
「欠陥は、原子炉第2号機の建屋のなか、第1サイクルの4つある冷却ポンプの一つの接続部分で発見された。 冷却のためにタンクの中に集められた水が漏れていた」とEDFは指摘し、タンクが「原子炉建屋の内部」にあることを強調した。この漏水は、冷却サイクルに水を送り込むポンプのオイル漏れに続いて起きた。
しかしながら、「現在の状況は、緊急用プランの発動の必要はない」と、昼に発生した事故の結果を監視しているASNは強調した。
5日のフランス原発火災事故の速報。フランスでは最近、原発の火災事故が多いですね。もちろんテレビもトップで伝えていました。情報は一応各行政機関、通信社に伝えたみたいです。
2012年4月5日、EUROPE 1
木曜日、原子力発電所の原子炉が、二カ所からの出火により運転停止、火災は直ぐに消火した。
「見かけほど怖れることはない。Penly(ソーヌ・マルティーヌ地方圏)の原発は、火災の初期段階で察知し、自動的に運転を停止した」とフランス電力公社は発表した。
「今は、愛さえも一時的である」
ル・マンの中心街のレピュブリック広場、午前の時間が終わろうとしていた。半分しか埋まっていないカッフェで、Joeは携帯が鳴るのを待ちながら、日差しを楽しんでいた。29歳の青年は、1週間前から失業中である。「でも、慣れちゃったよ」とつぶやいた。成人してから、職を転々としてきた。期限付き雇用契約、すなわち臨時の職は長続きしない。そしていつも窮余の策として、声がかかるのである。こうした生活は、時とともに諦めの気持ちを植え付ける。「このとおりさ。両親の時代は、まだ楽だった。でも、今じゃ愛さえも一時的だから。*1 僕ももうすぐ30歳になる。まるで自分の人生が、まだ始まっていないかのようだ」。

ル・パリジャン紙3月28日付
フランスにおいて最初の職を獲得するには、まさに障害物を乗り越える戦闘訓練のようなものである。拘束力の弱い契約によって、多くの若者が試される。起死回生の秘訣などないのである。今日、5人に1人強の若者が失業状態にある。20年前と変わらない。経済変動が起こるたびに、被害を被るのは若者である。同年代の全体が、定職に就くために悪戦苦闘している。そして見習いの繰り返しである正規採用前の準備期間[10から12週間]やアルバイトで時間を費やす。