13年前からブローニュ・ビヤンクール市の主催で、市内の青年たちが強制収容所を訪れている。このツアーは、青年たちに特別な感銘を与える。3月15日、市内の公立および私立の生徒109人が、3人の元囚人*であるYvette Broder、Yvonne Lévy、Maurice Clingとともにアウシュヴィッツを訪れた。僕もこのツアーに参加した。
* ブローニュ・ビヤンクール市から104名が、強制収容所に送られた。
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先日といっても3月の末ですが、知人二人とモンマルトルのシャンソニエ「ラパン・アジル」に行ってきました。
⑤人の権利教育は、価値判断が形成されるプロセスである。
価値判断は、人の権利教育の実践を通してできるようになるが、授業のプロセスも重要であることを考慮に入れなければならない。
④人の権利の教育は、多くの教科および教科相互の接近に支えられる。
人の権利の教育は、その定義および目的から、多くの教科とともにしか、そして教科間の相互性においてしか存在しない。すべての教師、諸教科および教育活動の全体は、人の権利の教育に寄与する。学校生活そして学校と環境との関係を包摂する全体は、その意義をすべて人の権利の教育に与える。歴史および地理の教師はもちろん、母語やフランス語の教師、そして生物、宗教、体育の教師もそうである。ユネスコの“L’école amie des enfants »「子どもの友としての学校」[ 仮訳] の掲げる項目は、その指標を含む。
③人の権利の教育は、関わりと参加を引出す方法を優先する。
人の権利の教育における最初の試みは、次のような二つの前提条件に基礎づけられている。
―道徳的規範(人の権利の教育は崇高ではあるが、教化と同意義ではない。生徒は「自由」であり、この自由は奨励されなければならないし、尊重されなければならない)。
―他の教育的秩序(授業は、生徒が積極的であるときに理想的におこなわれ、知識の形成に貢献し、能力だけでなく、年齢に応じた個人的経験の習得に専念する)。
②子どもと互いに尊重する関係を前提とする
もし教師と生徒との関係が同じ価値に根ざしていないならば、そして教師が子どもの権利を尊重せず、「例を挙げるだけの授業」をするならば、子どもに尊厳、自由、平等、公正とは何かを教えることはできない。
①人の権利の教育は、批判的意識をもつ態度に基づく。
人の権利の教育においては、教えることのプロセスが重要である。すなわち、人の権利を尊重する態度および行為を、子どもが獲得できるように育成することである。我々が主に挑戦するところのものは、それ自体が人の権利の基本的な価値である、学ぶ者の自由を考慮に入れることによって達成される。人の権利の教育は、教化と正反対のものである。出発点におけるこの心構えは教育的規律にとどまらず、道徳の求めるところである。教師は常に考慮に入れておくべきである。
第2章 人の権利の教育を決定するもの
目的
人の権利の教育において、教師にあらかじめなすべきことについて注意を喚起する。それは教師のこの分野における能力を高め、教師が
人の権利を尊重する行動様式および態度を発揮する、
自主的に行動し、創意的である
ことを助ける。
人の権利の教育―固い核をなす
専門家によって提起される主な問題のひとつは、人の権利の教育と他のテーマが似通った教科との関係である。人の権利の教育は、それらの教科の公分母であるだけでなく、とくに固い核をなすものである(そしてそうあらねばならない)。
基本的な能力
人の権利の教育がめざす能力は、知識(理解)、経験知(豊かな経験)、ソーシャル・スキル(価値、態度)の結びつきにある。この3つの能力は、統合され、連結する、ひとつの目的であると理解される。
知識(理解)
ソーシャル・スキル(価値) 経験知(豊かな経験)
人の権利の教育 人の権利の教育は、1948年の世界人権宣言とともに始まり、とくに1990年代の10年間に人の権利についての知識の普及を促進する観点で大きく展開した。それはとりわけ子どもと若者に対して、自己における人間としての価値を尊重し(自己の尊重、尊厳の意味)、また他人において価値を尊重する(他人の立場になる等)態度と行動を発展させようとする教育活動である。
「人の権利の体系」を喚起することは、人の権利の教育にとっては欠かせないことである。
Le Monde.fr| 19.03.2013
カリム・ベンゼマ選手「マルセイエーズを歌うことを、僕に強制しないでくれ」 フランス―セルビア戦で、マルセイエーズが歌われる間のカリム・ベンゼマ選手とサミル・ナスリ選手
権利、義務、責務 万人に認められた権利と義務は、決して無制限ではない。それはつねに次の制限をもつ。
他人に認められた権利と自由
民主主義的価値、公の秩序および全体の安寧
経済的、社会的および文化的権利(第2世代) 経済的権利
すべての個人が、国家に対し積極的な取り組みを訴え、適切な生活条件を獲得することを保障する権利
社会的な権利
―個人が参加する団体の、社会に対する示威行動を理解し、参加し、実行することを保証する権利
文化的権利
個人および人びとの、固有の文化の表現活動を理解し、参加し、実行することを保障する権利
一般に国家に課せられた、個人に対する義務が問題となる(手当)。
市民的および政治的権利(第1世代 )人格に付与された諸権利の総体であり、国家との関係における自由の範囲を個人に保障する(市民的権利)人の権利の範疇であり、また国家の行政および司法の機関へのアプローチ、参加あるいはコントロールする可能性を個人に保障する権利(政治的権利)であり、これらの権利の尊重を保障する手段でもある。
国家が尊重すると誓った個人の基本的な自由が、最も多く問題になる。
人の権利の構造的原理―普遍性、不可分性、非譲渡性、実効性
普遍性
万人に適用され、万人によって承認された権利であるという原理。全ての人間は、世界のどこにいても、地理的位置、文化、宗教とは関わりなく、人の権利を行使することができる原理。この原理によって、人の権利は全ての国家によって適用されなければならない。しかしながら権利の普遍性は、すべての個人が同じやり方で権利を行使するという意味ではない。
基礎となる価値―尊厳、自由、平等 尊厳 人が、それ自身目的として扱われなければならないとする原理。国籍、人種、宗教、社会的階層、政治的意見もしくは他のすべての個人あるいは集団の特性から独立した、人格に属し、人格を構成する原理。
人の権利の諸原理は、各個人が、年齢、文化、宗教、民族的出身、人種、性、性の嗜好、言語、身体的障害、出自に関わりなく、尊重と評価に値するとする観念に基礎をおく。
人の権利の教育では
―市民としての資格
―民主主義
―持続する開発
―異文化交流
―寛容
―平和
について学ぶ。
これから「人の権利の教育」L'éducation aux droits de l'Homme という教師用の手引き書の中から、恣意的な抜粋を、不定期に紹介していきます。副題は、「ともに行動することを学ぶ」。なお、フランスでは Les droits de l'Hommeと「人間」が大文字になっていることから、「人の権利」としました。
長い間、ご無沙汰いたしました。これからぼちぼちと、フランスの教育について紹介していきたいと思います。視力と集中力が落ちてきましたので、ゆっくりペースとなります。
先日、教科書書店にて、哲学の教科書を購入しました。哲学は、高校3年生の必須科目、文系コースが週8時間、経済・社会系が4時間、理系が3時間です。バカロレア(高校卒業と大学入学資格試験)では、かなり高い点数配分になっています。試験は記述式。メモ用の用紙は可ですが、鉛筆、消しゴムはダメ。