Non ! Rien de rien
Non ! Je ne regrette rien
Ni le bien qu'on m'a fait
Ni le mal tout ça m'est bien égal !
いいえ!全然
いいえ!少しも後悔してないわ
優しくされたことも
ひどい仕打ちも、すべてはどうでもよいこと
Non ! Rien de rien
Non ! Je ne regrette rien
C'est payé, balayé, oublié
Je me fous du passé !
いいえ!全然
いいえ!少しも後悔してないわ
すべては償い、かたづけて、忘れた
過去なんてどうでもいいの
Avec mes souvenirs
J'ai allumé le feu
Mes chagrins, mes plaisirs
Je n'ai plus besoin d'eux !
私の思い出とともに
燃やしてしまったわ
私の苦しみ、私の喜び
もう私には必要ないものを
Balayées les amours
Et tous leurs trémolos
Balayés pour toujours
Je repars à zéro
これまでの愛に別れを告げて
すすり泣いたこともすべて
永遠に忘れ去って
ゼロからやり直すの
Non ! Rien de rien
Non ! Je ne regrette rien
Ni le bien, qu'on m'a fait
Ni le mal, tout ça m'est bien égal !
いいえ!全然
いいえ!少しも後悔してないわ
優しくされたことも
ひどい仕打ちも、すべてはどうでもよいこと
Non ! Rien de rien
Non ! Je ne regrette rien
Car ma vie, car mes joies
Aujourd'hui, ça commence avec toi !
いいえ!全然
いいえ!少しも後悔してないわ
だって私の人生、私の喜びが
今日、あなたとともに始まるのだから!

子供の頃のエディト・ピアフ
ベルビル街にある建物に、次のよう書かれたプレートが取り付けられています。「1915年12月19日、極貧のなか、エディット・ピアフはこの家の階段の上で生まれた。後に彼女の声は、世界を震わせた」(
ベルビル界隈を参照)しかし彼女の出生証明書には、病院で生まれたことになっています。エディット・ピアフEdit Piaf(本名Édith Giovanna Gassion)は、大道芸人の父と歌手であった母親の間に生まれ、15歳には街頭で歌う歌手として自立しました。
20歳のときにナイトクラブのオーナーに見出され、La Môme Piaf (小さな雀)という芸名で歌い始めました。「愛の賛歌」と「バラ色の人生」は彼女の作詞です。ピアフはドイツ占領下のパリでドイツ高官の前で歌い、フランス兵捕虜と写真を撮ることを許されます。この写真は脱走用の偽造身分証明書に使われ、多くのフランス人を救いました。
戦後は世界中で公演し、その名を高めました。しかし私生活では最愛のマルセル・セルダン(ボクサー)を1949年に飛行機事故で失い、ピアフ自身も1951年に交通事故に遭うなど不幸が続きました。そのときからモルヒネ依存症に苦しみ、命を縮めました。ピアフはアズナブール、イブ・モンタン、ジルベール・ベコー、ジョルジュ・ムスタキなどを発掘したことでも有名です。
1963年10月にピアフは、その波乱の生涯を閉じました。享年47歳でした。翌日に亡くなった詩人のジャン・コクトーは、古くからの友人であるピアフの死を知り、なくなる前に次のように語ったそうです。
「ついに船が沈んでしまった。」「わたしは彼女ほど自分の魂を惜しげもなく与える存在を知らない。彼女はそれを浪費したのではない。ふんだんに与えたのだ、窓から黄金をばらまくように。」
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