あの窓を見てみよう。私には、そこに白い女と黒い男がはっきりと見える。オルレアン公の相談役、徳と悪徳、すなわちジャンリス夫人とコデルロス・ドゥ・ラクロである。二人の役割は、明確に分かれる。すべてが虚偽であるこの館では、徳はジャンリス夫人によって体現される。すなわち冷淡さとセンチメンタリズム、涙とインクのほとばしり、まやかしの模範教育*1、可愛いパメラ*2 の常設展示場など。館のこちら側には慈善活動の事務所があり、選挙の前日には慈善活動が騒がしく準備される。
もう昔のように、騎士が夕食後の余興でパリからバガテル[ブローニュ-訳注]まで真っ裸で駆けることができるかを賭ける時代ではない。今では、騎士はなによりもまず政府高官であり、党派の長である。愛人たちがそれを望むのである。愛人たちは二つのことを夢見ていた。離婚について明確に規定する法律と王朝の交替である。オルレアン公の政治的腹心は、あの陰気で無口な男であるが、我々にこう言いたそうだ。「まず私が、それから我々が陰謀を企てるのだ」。この不可解なラクロは、自分が書いた「危険な関係」という本によって、小説を悪徳から犯罪へと移行させたと自慢し、よこしまな情事が政治的犯罪への有効な前奏曲となることをほのめかしている。ラクロが野心を燃やすのはこの名声であり、その役どころは人を魅了してみせることである。幾人かはオルレアン公にへつらうために進言する。「ラクロは腹黒い男です」。
しかしながら、あのオルレアン公の党*5 のリーダーを勤めるのは容易なことではない。この頃のラクロは擦り切れて、体力も気力も消耗し、思考力も甚だしく鈍っていた。パレ・ロワイヤルの屋根裏部屋で、詐欺師たちが彼に黄金をつくらせようとした。悪魔を彼に引き合わせたのである。
もうひとつの厄介な問題は、オルレアン公が後天的に身につけた悪徳とは別に、他人のように涸れ尽きることがない、致命的で永続的な悪徳を生来的に持っていたということである。それは、影のように彼につきまとった。次いで彼の吝嗇についても語ろう。オルレアン公は、「私は6フラン銀貨と引き換えに、世論を提供するだろう」と言った。この発言には根拠がないわけではない。民衆の轟々たる非難にかまわずパレ・ロワイヤルを建てたとき、彼はそれを実行したのである。
彼の政治顧問は、オルレアン公をそうした状態から抜け出させるまでには熟達していなかった。彼に慎重さを欠いた不都合な対応を、一度ならずさせたのである。
1788年、ジャンリス夫人の弟は、オルレアン家の将校という肩書きしか持たない青年であったが、国王に職を求める手紙を書いた。それもネッケルやチュルゴのような首相職以外は、どんな地位も求めなかった。王国の財政をたちどころに回復させることができると自負したのである。オルレアン公は、彼を支持するという信じがたい書簡を届けさせた。これは宮廷人に恰好の気晴らしを提供した。
オルレアン公の賢明なる相談役たちは、こうして少しずつ権力を自分たちの手に移せると思った。この期待に惑わされた彼らは、より公然と行動し、ギーズ公*3 あるいはクロムウエル*4 を演じようとして、人民の側に顔を向けたのである。そこでも大きな困難が彼らを待ち受けていた。人民のすべてが騙されやすいとは限らなかった。オルレアンの街は、オルレアン公を選出しなかった。すると彼はその復讐措置として、選挙を買収できると思って始めた施しを突然やめてしまった。
にもかかわらず、金も策略も惜しまなかった。選挙事務の指揮者は、オルレアン公が自分の領地に伝える選挙の訓示に、シエイエスのパンフレットを丸ごと貼り付けることを思いついた。こうして自分たちの主人を、あまりにも高名な、しかしながらオルレアン公とはなにも結びつきもない、この絶大な人気を博する偉大な思想家のパンフレットとその庇護の下に置いたのである。
Commune(市町村)議会が国民議会の名称を勝ち取るという決定的な一歩を踏み出したとき、だれかがオルレアン公に、人前に出て、語り、行動するときが来た、もう一党の代表者が無口な人物でい続けることはできないと進言した。オルレアン公は、貴族に第三身分と合流することを促す、少なくとも4行の演説を読むことを了承した。彼はそれを読むには読んだが、読むうちに熱意が薄れ、気分が悪くなってきた。だれかが楽にするためにボタンを外そうとしたとき、5枚か6枚ものチョッキを重ね着しているのに気付いた。この小心者は、心臓を刺されるのではないかという危惧から、鎧代わりにしたのである。
クーデターが失敗した日(6月23日)、オルレアン公は、国王が敗北し明日にも自分が国王になると信じて、喜びを隠すことができなかった。その夜から翌日にかけてのパリの凄まじい沸騰は、大きな騒乱となって爆発するのではないかと思わせるものであった。25日、貴族の少数派は、もしパリが運動を主導するならば、自分たちの立場は著しく弱まるのではないかと感じていた。そうなるとオルレアン公を筆頭に、少数派がCommune(市町村)議会に合流することになる。オルレアン公側の人物、ジャンリス夫人の従順な夫であるシルリは皆を代表して演説したが、あまり時宜を得たものではなかった。国王と人民の両者に受け入れられる仲介役、仲裁者を引き受けようというものである。「王たちの中の最良の人物に、敬意を払うことを忘れてはなりません。その人物は、我々に平和をもたらすのです。彼を受け入れることができないとでも言われるか?」
*1 オルレアン公の息子であるシャルトル公の子どもたちを、ルソーの教育論に基づいて教育した。
*2 1780 年に6 歳のイギリス人の女の子を引き取りパメラと名づけ、シャルトル公の子どもたちと一緒に教育をする。
*3 16世紀の宗教戦争の中で、ギーズ家はカトリックの中心的役割を果たしていた。1572年にパリで起こったプロテスタントの大虐殺(サン・バルテルミの虐殺)は、ギーズ公アンリ1世の軍隊によるもの。
*4 清教徒革命の中心人物。イギリス国王チャールズ1世を処刑し、共和国を樹立した。その後イギリスは王政復古する。
*5 フリーメーソンのフランス本部Grand orient de franceのこと
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