
解放者におどろく囚人
バスティーユは奪取されたのではない。バスティーユは自壊したのだというべきである。バスティーユは、自らのやましさによって精神を乱し、狂い、正気を失ったのである。
いく人かが投降しようとしたが、他の者は銃撃した。とくにスイス人兵は5時間ものあいだ、安全なところから撃たれる心配もなく、自由に標的を選び、照準を当て、狙ったものを打ち倒した。彼らは83人を殺し、88人を負傷させた。死んだ者のうち、20人は貧しい家庭の父親であり、残された妻と子どもは餓死するしかない。
スイス人兵はなにも感じなかったが、廃兵たちは、この危険を伴わない戦争の後ろめたさ、フランス人の血を流す嫌悪感に耐えかねて、ついに武器を放棄したのである。4時になると下士官たちがドゥ・ローネーに、この殺戮を終わらせるように懇願した。ドゥ・ローネーには、自分にどんな報いが待っているかわかっている。つまり殺戮には殺戮を、である。彼は一瞬、自爆の衝動に駆られた。恐ろしく残忍な考えである。それはパリの3分の1を破壊することなのだ。火薬をつめた135個の樽が、バスティーユを空中に吹き飛ばし、城外の街、マレー地区、そしてアルスナル地区をすべて爆破し、埋もれさせるであろう。ドゥ・ローネーは大砲の導火線を手に取った。二人の下士官が、その犯罪行為を止めさせようと、銃剣を交差させ、火薬のほうへ行こうとするのを塞いだ。そこでドゥ・ローネーは自決をする気配を示し剣を手にしたが、すぐにもぎ取られた。
ドゥ・ローネーは正気を失って、命令を下すことができなくなった。フランス衛兵が大砲の照準をこちらに合わせ、発砲したときに(何人かの証言によれば)、スイス人兵の隊長は交渉する時だと悟った。彼はメッセージを手渡し、名誉ある降伏を条件とした撤退を求めた。これは拒否された。しかし命は救われたのである。ユランとエリーが、それを約束したのだ。
難しいのは、その約束を果たすことである。数世紀にわたって蓄積し、その上バスティーユが今おこなったばかりの夥しい殺戮によって、いっそう昂ぶった復讐心を抑えることなど、一体誰ができるというのか?1時間前に出来た司令部はグレーヴ広場から着いたばかりであり、それも前衛部隊の二つの小隊が認めるのみで、後で待ち受ける10万の群衆を抑えるには十分でない。 バスティーユは奪取されたのではない。
群集は怒り狂い、分別を失い、危険に酔ってさえいた。にもかかわらず、城塞のなかでは一人しか殺さなかった。敵であるスイス人兵たちは見逃した。スイス人兵の着た仕事着を見て、使用人や囚人と見間違ったのである。しかし、自分たちの友である廃兵たちは痛めつけ、虐待した。群集は、バスティーユを破壊できぬものかと思った。まず時計の文字盤を挟んでいる、鉄製の二つの奴隷像を石で砕いた。そして塔の上まで駆け登り、大砲に怒りをぶつけた。何人もの男が石に走りより、石を剥ぎ取ろうとして、手を血で染めた。
人々は独房へ走り、囚人を解放した。二人は気が狂っていた。一人は音に怯え、身構えた。独房の扉を壊した者たちが彼らの腕の中に跳びこみ、涙で濡らした時も、ただただ驚くばかりであった。もう一人、腰まで髭を伸ばした囚人は、ルイ15世陛下はお元気でおられるかと尋ねた。この囚人は、まだルイ15世が王位にいると思っているのである。自分の名前を聞かれると、自分は壮大無限[神]の参謀副官であると名乗った。
続く
スポンサーサイト
trackback URL:http://billancourt.blog50.fc2.com/tb.php/1037-eeab5f55