□政府のプログラム
国の独立を回復し、裏切り者を罰する
レジスタンス全国評議会CNRはプログラムを採用するとともに、次の声明を出した。最初に、解放を速やかに実現するために、CNRを構成する「運動、グループ、政党」の行動を統一すること。次にCNRの構成員の意思は、「解放後も統一を維持する」こと。
最初の目標は、ドゴール将軍による共和国臨時政府の樹立を含む。これは「国の政治的および経済的独立を守り、自力によってフランスを再建し」、言い換えればドイツに対する戦争を指揮し、ナチズムに対する闘いに加わるために必要なことである。この政府は、上陸が間近に迫った1944年6月3日、アルジェで宣言されることになる。敵と妥協したり、あるいは対独協力政府の政策の政策に積極的に参加した者はすべて罰せられるであろう。また占領を利用して、たとえば闇市で成金になったり、敵やヴィシーの指導者および責任者の命令に従った者のすべては、裏切り者と見なされ、名指しされるであろう。そのかわり、これらの目標によって実際にレジスタンスの統一を維持することができるようならば、それぞれの時期にレジスタンスに参加し、運動におけるそれぞれの役割、およびそれぞれの固有の目的によって指導する各組織が、解放後も協調を存続できるか否かも、1944年を期に議論の俎上に上ることになる。
民主主義を再建する
ヴィシー後と共和国の原理の再構築を準備するために、CNRはあらためて人と市民の権利宣言を宣言した。普通選挙、思想・良心、表現、結社、集会、デモの自由である。しかしヴィシー後遺症を精算することも重要であった。ペタン元帥の独裁下での報道の登録に対し報道の自由と独立を宣言した。また民兵の活用に対しては、住居の不可侵性と個人の尊重を再確認した。人種差別や国家による反ユダヤ政策に対しては、法の前でのすべての市民の平等を呼びかけた。
経済改革
近い将来に予想されるヴィシー政権の崩壊は、フランスに新しい経済および社会システムを与える機会を与えることになろう。つまり多くの指導者が占領軍に関わった資本主義というものを問題にするのである。CNRの提案の中に示されたこの観点は、アルジェのフランス国民解放委員会にも共有された。経済プランにおいては、第一の原則が前面に押し出された。すなわち「経済・財政に影響力をもつ大財閥を経済運営から排斥することを含む、真の経済的・社会的民主主義」である。少数のメンバーが、彼らの間で経済的、社会的、家族的結びつきを保持する、寡頭政治ともいうべき支配に終止符を打ち、「独占された巨大な生産手段」を国家のものにすること、言い換えれば、鉱山、エネルギー資源、大銀行、そして保険会社を国有化することが重視された。第二の原則は、「私的な利益が全体の利益へ従属することを保証する経済の合理的組織化」の必要性を説いている。それは論理的に、国家が作成したプランによって経済を発展させることを提起することになる。
解放後にこれらの改革の実行にもっとも好意的な態度を示したのは、共産党員ではなかった。共産党員の大臣のひとりであるフランソワ・ビルーは、これらの「社会主義のかけら」を告発さえした。逆にドゴール将軍は、差し迫った経済的な必要性から、また国の建設における国家の歴史的役割という個人的信念から、示された国有化を早速実行に移そうとした。石炭の国有化の政令に署名した4日後の1944年10月1日、リールで次のように演説した。「我々が到達した地点からは、トラストと呼ばれる利益の集中は認めることはできない。[…] 共同体すなわち国家が、共同の富の源泉を管理し、また他の活動の一部をコントロールすべきである。もちろん人間の活動において、指導性を発揮し公正な利益を生み出す手段となるところは排除すべきではない」。権力から去る数日前の1946年1月3日、プランを実現する政令に署名した。
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