道徳的価値は決して消滅しないし、発明されることもない。それは人類の文化の果実であり、その及ぶ範囲は普遍的である。したがって、道徳的価値は教えるに値する。
しかし道徳的価値に対する我々の関係は、変化する。したがってそれは昔のように教えることはできない。
他人の配慮がない道徳はない。しかし自己犠牲、自己の権利放棄という理想と、他人の権利を侵害しないことの義務との隔たりは小さくはない。
ところで現在の道徳への関心の復活は、昔の無私無欲の要請に戻ることでは決してない。G.Lipovetskyが発展させた命題のようなものである。それは他人のために生き、全体の利益と集団的理想の名の下に奉仕することを、我々が少しずつ拒否することを示そうとしている。
各人が自分のために、それによって他人との連帯の絆のすべてを断ち切ることなく、生きる権利を要求することで、道徳的規範は次のように変わるであろう。すなわち、もはや厳格な義務、遊びの敵視、非妥協もなくなり、自己について考えるあらゆる欲求を窒息させる司令官もいなくなるだろう。しかし個人的な営みの追究は、他人に役に立つと感じる喜びを除外しないであろう。
「欲望」
<古い義務の道徳>
・我々は、自分の欲望を強制的にコントロールし、抑制しなければならない。
<新しい道徳的規範>
・我々は、(自分自身の幸せのために)過ぎることがなく、生活を送ることに気を配らなければならない。
「スポーツ」
<古い義務の道徳>
・スポーツによる育成は、努力を味わうことであり、無気力さの拒絶である。そして勇気と誠実さ(ルールの尊重)を教える。
<新しい道徳的規範>
・スポーツ(ますます多様化する)は、「元気でありつづける」手段である。それは道徳の勉強よりも経験に結びつく(新たな感動と強い興奮)。
「衛生」
<古い義務の道徳>
・不潔は怠惰、なげやり、社会的排除を示す。
<新しい道徳的規範>
・自分のこと、とりわけ身体の衛生に気を配ることは良いことである。
「自殺」
<古い義務の道徳>
・自殺は弱さの一形態を示す。自殺は放棄である。
<新しい道徳的規範>
・是が非でも生きることは、義務としての価値を有しない。自殺はもはや過ちではなく、悲劇である。
「夫婦の誠実」
<古い義務の道徳>
・誠実は、いかなる場合においても、強制力を持つ。両親の義務は、不和の時でも、子どものために幸福を犠牲にして、一緒にいることである。
<新しい道徳的規範>
・大切なのは、相手の信頼を裏切らないことである。関係を終わらせないために愛する振りをすることは、卑怯な行為である。
「労働」
<古い義務の道徳>
・労働の美徳は、皆に対して各人が連帯を示すことであり、才能に磨きをかけることを我々に課す。
<新しい道徳的規範>
・自分の楽しみのために一人で生きるよりも、価値を高める労働に関わるほうが良い。ともかくも仕事が気に入らなければならない。
「連帯」
<古い義務の道徳>
・慈悲深くあらねばならない。なぜなら他人の困窮に無関心である権利はないからだ。
<新しい道徳的規範>
・連帯の行為は良いことである-喜ばせることは喜びである-しかし他人への献身を強いてはならない。
「家庭」
<古い義務の道徳>
・我々は家庭を築く義務がある。自分の意思で独身でいるのは、自分のために生きようとするエゴイストの行為である。
<新しい道徳的規範>
・子どもに対する義務は、次第に多くなる。しかし家庭を築くことは、もはや義務ではない。
「国」
<古い義務の道徳>
・我々は、我々の祖国を愛し、必要とあらば、祖国のために自らの命を捧げる危険を冒さなければならない。
<新しい道徳的規範>
・我々は、我々の国を誇りにすることが好きである。だからといって、すべての徳を国に与えるわけではない。そして我々は、孤立することなく、我々の国民としてのアイデンティティを守りたい。
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