説明文には「ドイツ軍によるリトアニア侵略のときに、(杉原千畝が)日本政府の通告に逆らって、ユダヤ人にリトアニアから出国することができる通過ビザを発行した数は約2,500であった」と記されていました。
ビザは1家族に1枚で十分だったので、6,000人ほどのユダヤ人の国外脱出を助けたことになります。ビザをもったユダヤ人は、シベリヤ鉄道にのってウラジオストクまで行き、敦賀港および舞鶴港から上陸してしばらく神戸に滞在、それからアメリカ、パレスチナ、上海疎開地へ向かったそうです。その1年後にドイツ軍がリトアニアを占領、20万人のユダヤ人が犠牲になりました。(Wikipediaより)
その向かい側には、レジスタンス活動家を銃殺するドイツ占領軍の告示が展示してありました。
左にドイツ語、右にフランス語で書かれています。
告示
1.ユダヤ人 Szmut tyszegman パリ市
2.Henry Gauterot なる者 パリ市
両名は、ドイツ軍占領軍に反対して組織された共産党のデモに参加することによって、利敵行為をおこなったかどで、死刑を宣告された。両名は本日銃殺刑に処せられた。
1941年8月19日 パリ
その隣には、「赤いポスター」が展示されていました。
この「赤いポスター」については、
村野瀬玲奈の秘書課広報室 で詳しく触れられています。
解説書には次のように書かれていました。
1944年の2月15日および16日、パリの壁は赤い大きなポスターに覆われた。同時にフランス全土に、「犯罪の部隊」と題するイラスト入りのパンフレットがばら撒かれた。ドイツ軍とビッシー政府はレジスタンスをたたく宣伝の武器として、「23名の裁判」を利用した。しかしこれは無駄に終わった。言語、とくにイメージによる戦争において、このプロパガンダのキャンペーンは、ただちに共産党によって正体を暴かれた。1944年3月3日のユマニテに、初めて「銃殺された者の党」と題された記事が掲載されたのである。
最後の部屋は、壁いっぱいに子どもたちの写真が飾られていました。
Eugénie TAHIA 1938年生 1944年7月31日収容所送り
Jacques YMINIAK 1938年6月11日生 1944年3月7日収容所送り
Eveline YASTERBELSKI 1936年生 1943年3月25日収容所送り
Michèle GLOWINSKI 1939年1月20日生 1942年8月17日収容所送り
Solange ZAJDENWERGER 1939年6月23日生 1942年11月4日収容所送り
David ZAJDENWERGER 1937年12月9日生 1942年11月4日収容所送り
そして次のような文がパネルに記されていました。
この空間には、1942年から1944年にかけて、フランスから強制収容所に送られた3,000人の子どもたちの写真がある。これらの写真の一部はShoah.CDJCの写真資料室から、残りの大部分は、Serge Klarsfeldから託されたものである。Serge Klarsfeldの写真は、「フランスから強制収容所に送られた子どもたちの慰霊碑」で発行されたもので、1994年に初版が出ている。これらの写真は、Serge Klarsfeldおよび彼が主宰する会、「フランスから送られた息子と娘」の会員によって、世界中に散らばった家族から細心の注意を払って集められたものである。
Serge Klarsfeldは、フランスから送られた76,000人のユダヤ人の名前を保存している「フランスのユダヤ人の強制収容所への追放の慰霊碑」の延長上に、子どもひとりひとりの、プライベートな歴史を再現した。
*最後の部屋を写真に取っていると、「写真はダメです」といわれました。私が申し訳ない顔をすると、にっこり笑ってくれました。でもアップします。すみません。
外に出ると、外壁に金属板が並んで貼ってあるのに気がつきました。
説明文を読むと次のように書いてあります。
正義の人びとの壁
この壁には、第二次世界大戦中に、ときには命を賭してユダヤ人を守ったフランスの正義の人びとの名前が刻まれている。
正義の人びとという称号は、勇敢なる精神と自己犠牲をもって行動したこれらの非ユダヤ人の人びとに敬意を表して、イスラエル国家によって授けられ、エルサレムのYad Yashem記念館によって手渡される。
この国、個人そして組織のなかで蔓延しているようにみえた無関心にたいし敢然と立ち向かい、政治的、社会的、宗教的に異なった立場のこれらの女たちそして男たちは、非人道性の拒絶、連帯の意識そして責任を共有していた。かくまい、身分証明書を偽造し、食料を供与し、国境を越えさせることによって、正義の人びとは、その当時ビッシー政府とナチスの占領によって迫害を受けていたフランスのユダヤ人の4分の3を、救助に導くために不可欠な物質的かつ精神的援助を与えた。
同様に、個人であるいはレジスタンスの組織の中で、自分たちの共同体を救うために戦ったユダヤ人たちについての記憶も呼び起こさなくてはならない。
この壁は私たちが知っているこれらの女たちそして男たちのすべてに対して感謝を記すだけではなく、この激動の時代に目立たないが効果的に働いた何千という、名も知れぬ人びとに対しても感謝を記している。
これらの人びとの行動は、未来の世代すべてにとってのひとつの模範となる。
この壁に記録された名前は、この称号を与えられた年ごとに、アルファベット順で、そして救助がおこなわれた場所への言及とともに並んでいる。
「ユダヤ人強制収容所ドキュメントセンター」(ホロコーストの記憶)
Le Memorial de la Shoh / Musee, centre de documentation juive contemporaine
地下鉄 / Saint-Paul, Hotel-de-ville, Pont-Marie
開館時間 / 土曜をのぞく毎日10時から18時まで 木曜は22時まで
休館日 / 1月1日、5月1日、7月14日、8月15日、12月25日
入場料 / 無料(団体は45ユーロ)
電話 / 01 42 77 44 72 www.memorialdelashoah.org
<地図>
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