
ビルケナウ収容所
収容所は囚人を使って増築され、収容規模を拡大しました。41年には、ビルケナウ(ブジジェンカ村)に収容所が建設されました。
正面の門から鉄道の引き込み線が収容所内に続いています。この線路を使って、ヨーロッパの各地からユダヤ人や絶滅の対象となった人々が運ばれてきました。密閉された貨車の中に身動きできないほど押し込まれ、食事も与えられないで、長い道のりを移動させられました。
引き込み線の先には線路が二つに分かれ、積み卸し場があります。一方は収容者を降ろすため、他方は特にユダヤ人から没収した物品を積み込むためのものです。
引き込み線の一番奥には、2棟の焼却炉、ガス室がセットになった建物ががれきのまま残っています。親衛隊(SS)が撤退するときに証拠隠滅のため爆破したもので、そのまま残してあります。
展示室には、列車を降りたばかりの集団が整列させられ、そこに軍服を着たドイツ人医師が向き合った形で立っている光景を写したパネル写真がありました。この医者は、一瞬のうちに働けるか働けないかを顔色で判断し、人差し指で行き先を指示しました。働けないと判断された囚人は、焼却炉・ガス室の方へ列をつくって移動させられました。14歳以下の子供は、確実にガス室に送られました。収容所長のルドルフ・ヘス(ナチス副総統とは別人)の証言では、連れてこられた人の、70~75%がガス室に送られたそうです。
線路の上を、青年たちが歩いていました。この青年たちは、収容所の一番奥まで見学に行くそうです。

行き先を指示する医師
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