アウシュヴィッツ収容所を訪れて(その5)

ビルケナウの内部
ビルケナウ収容所は、線路の左右に煉瓦づくりと木造バラックの棟が並んでいました。木造の多くは煉瓦つくりの煙突だけを残しています。ここにアンネ・フランクもいました。
一時は10万人が収容されていました。これほどの多くのユダヤ人たちが、たいした混乱もなく連れてこられたのにも、ナチスの周到な計画がありました。東部に住むための土地が用意してあり、そこへ行くのだと言い聞かせました(架空の土地売買の契約書や架空の切符も用意しました)。スーツケースには、あとで自分のものとわかるように、氏名・生年月日・出身地を書かせました。展示場には、このスーツケースが大量に展示してありました。2歳の子どものものもありました。

氏名・生年月日・出身地を書き込んだ鞄
ガス室・焼却所は、虐殺・死体処理がスムーズに行くようにつくられています。囚人は、まず地下の脱衣所に連れて行かれます。親衛隊員からシャワーを浴びさせるとだまされている囚人はそこで服を脱ぎ、シャワー室に見せかけたガス室まで移動させられます。天井には一度も水が出たことがないシャワーが取り付けられていました。
210平方メートル(636坪)の中に、約2000人が詰め込まれ、15~20分の間に窒息死させられました。指輪・ピアス・金歯が抜き取られ、また女性の髪が切り取られた後、死体は1階の焼却炉へ運ばれました。展示場には近くの沼に捨てられた灰が、ガラス容器の中に入れられた展示してあります。ソ連軍の接近が間近になると虐殺のテンポが速まり、焼却場では間に合わない死体を、外に積み重ねて焼却しました。こうしてアウシュヴィッツだけでも、150万のユダヤ人が虐殺されました。
展示場ではドイツ語も聞こえてきました。ガイドの口をしっかりと見つめながら説明を聞く姿が印象的でした。
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