パリ市は1883年に地下鉄網の建設を決めましたが、国との調整がうまくいかず計画は凍結されていました。1895年に、1900年におこなわれるパリ万博に完成させること、地下鉄の収益はパリ市に属することで合意、工事がスタートしました。パリ万博(1900年4月15日-11月5日)のさなか、20ヶ月の突貫工事の末、7月19日に1番線(ポルト・ドゥ・ヴァンセンヌーPorte de Vencennes とポルト・マイヨ Porte Maillot 間)が開通し、花を添えました。公演中の川上音二郎・貞奴あるいはロンドン留学途上に万博を訪れた夏目漱石(10月21日から1週間パリ滞在)も利用したかもしれません。2番線は、その年の12月、ポルト・ドーフィーヌ Porte Dauphine -ナシオン Nation間で開通しました。写真は出来立ての入口でしょう。