*これはフランスのLycée 1(高校2年に相当)で使われる文学・社会経済コースの仏独共同教科書です。
<歴史家の目> その1
ワイマール共和政は失敗するように運命づけられていたのか?
共和制は、あまり好きではないの?
「みんな文字は支えるが、その精神を支持するのは誰なのか?」
ワイマール共和政は、議会をもち、高度に発達した社会システムを備えたドイツにおいて、最初の民主主義体制である。しかしながら一般には共和制の歴史は、最終的に国家社会主義への道を開いたという、一連の不運な要因によってもたらされた失敗の歴史であると評価されている。人はたびたび、議会制民主主義が10年間以上も存続したという事実、そして議会制民主主義が、女性の投票権と社会法という重要な獲得物を残したということを忘れる。
にもかかわらず共和制の失敗の原因について考えることは、いまでも正当なことである。もっと全体的な観点からみるならば、この問いかけによって、民主主義が機能するのに必要な社会的条件を特定することは可能になる。ワイマール共和政の失敗の原因が多様で複雑であることは、ずいぶん前から認められたことである。問題はむしろ、共和制が失敗を宣告されたのか、それともヒトラーの破局的な権力奪取を防ぐ可能性はあったのかということを知るということである。
Hagen Schulze ( 1982年 ) :
失敗は人類の過ちによるのか?ドイツの歴史家Hagen Schulzeはワイマール共和政に関して、人間が歴史の流れを変える可能性について考察する。 ワイマールの失敗は何を引き起したのか?この質問に対して、徹底的に科学的な厳密さをもった回答は、まだ出されていない。しかしそれでも、いくつかの要素は明らかにできる。主要な動機は、精神状態、傾向、思想の分野において見い出すことができる。このひと括りの原因の基本的な部分は、国民の大多数が、最終的にはワイマール政治体制を受け入れる心構えができていなかったということである。それにしても政党や労働組合も、議会主義を希求する存在として自らを示すところまではいかなかった。この逸脱の主要な原因は、長期的に見れば、ドイツ・プロシャに特有な歴史的背景によって説明できる。
この現象はまた、ワイマールの政治体制が誕生したときの状況と、ワイマール共和政の対外政策を圧迫した負担とによって強められた。[・・・] もし政党そして政府が、自らの権力についてもっと自覚をもっていたならば、理論的には軍隊、司法官僚の中の反共和制の潮流を押さえることができたであろう。社会的および経済的な情勢全般が、本質的なところで長期間にわたり、国民とその諸団体の精神状態に影響をおよぼしたのである。一時的な経済危機も不安定要素を強めたが、それは原因にまでは至らなかった。そこで次のような簡潔な結論を引き出すことができる。すなわち国民、諸団体、諸政党、そしていく人かの責任者が、ワイマールの実験を失敗に至らしめたのである。なぜならば彼らは誤った考えによって、誤って行動したのだから。構造的分析という間接的な方法をもってしても、ワイマールを失敗に導いたのは、運命でもなく、未知の客観的な強制でもないという結論に至る。団体も個人も、ワイマールを守るために決着をつける可能性、そして当時機能していた議会制民主主義の法に従う可能性をもっていたのである。
Hagen Schlzeの「ワイマール、ドイツ1917年-1933年」Berlin,1994から引用
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春のうららかな日差しが恋しい今日この頃です。
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