*これはフランスのLycée 1(高校2年に相当)で使われる文学・社会経済コースの仏独共同教科書です。
<歴史家の目> その2
Richard Bessel (1990年) 不運な要因の組み合わせ イギリスの歴史家Richard Bessel は、ワイマール共和政をヨーロッパというコンテキストの中で考える。
ワイマール民主主義の崩壊は、長期および短期の要因の特異な組み合わせに原因を求めることができる。
これらの要因は、その多くが他の工業社会においても見られるが、ワイマール共和政の下では全く特殊な力によって圧縮された。他の社会は、政治的および社会的緊張、非雇用者や労働者そして大量の失業者の間におこる激しい衝突に立ち向かい、敗戦からくる負担、新しい政治体制を受け入れ、近代社会の拡大によってもたらされる諸矛盾を解決する必要性、そして民主主義の基礎を理解するエリートたちの意志に応えようとする。こうした諸要素は、ドイツには作用しない。ドイツだけが、大戦間に民主主義的政治体制が崩壊したわけでもない。実際、アングロ・サクソン諸国とスカンジナビア諸国の民主主義を別にすれば、ヨーロッパにおいて安定した民主主義体制は、一般的というより例外的であった。ワイマール共和政において特徴的なことは、崩壊するまで存在しえたのではなく、かなり長い間持ちこたえたということである。ドイツに特徴的なことは、すべての勢力が激しくぶつかり合うことである。このことはワイマール共和政は、民主主義的憲法を有していたことを示す。ワイマール共和政は、もっとも進んだ社会制度を発展させ、最も激しいインフレーションに苦しみ、未曾有の破壊的な戦争に敗れ、そしてその賠償金を払わねばならなかった。その特殊な経済構造と世界経済におけるこの国の立場を考えると、ドイツはもっとも激しく世界恐慌の被害を受けた国であった。[・・・] ワイマールの政治体制は疑いなく、孤立の中でこの破壊のプロセスのひとつひとつに立ち向かい、受け止めたのであろう。
Richard Bessel (1990年)「なぜワイマール共和政は崩壊したのか?」New York,
St.Martin's Press(1990年)Ian Kershaw編「なぜドイツの民主主義は失敗したか?」より
旧エリート達の責任 ドイツの歴史家Eberhart Kolbは、共和制の崩壊にたいする伝統的なエリート達の責任を強調する。
ドイツで最初の共和制はまちがいなく、誕生したときの環境から生じる根本的な脆弱さに苦しんだ。1919年に具体的な形式を整えた議会制民主主義を受け入れ、熱心に擁護したのは少数派のみであった。国民の大多数は、共和制に対しよそよそしく、懐疑的な態度を崩さず、公然と拒否した。創成期から、右翼および極左の反民主主義勢力は共和制にたいする闘いを組織した。こうした環境の中で共和主義者の政治家が、国内および国外からの煩わしい脅迫に満ちた最初の数年間、ワイマールの民主主義を救うことに成功し、そしてついには目覚しい政治的かつ経済的な「正常化」を達成したのは、ちょっとした奇跡―そしてすばらしい功績―である。しかしながらこの比較的安定した時期から、1929年の政治体制の急速な崩壊過程への転変が始まっていた。ブルジョア大政党、そしてとくに旧エリートの指導者たちが、ワイマールがつくった複数社会的国家、それゆえに社会民主的な労働者と民主的なブルジョアジーが結んだ同盟の上にワイマールの国家を築いた、1918年から1919年にかけての「創造的妥協」と距離を置いた。[・・・] この観点からみると、1929年から1930年までにおこった事件と選挙が、破局への道程として重要な意味をもつのである。実際大統領制への移行は、議会制を遠くに追いやり、共和制に忠実で国家に好意的な勢力の立場を著しく弱めた。世界経済危機の影響が計り知れないほど大きく、社会不安を増大させ、現行の国家機構に対する、国民の大部分の忠誠心が弱まる前においてさえもこうであった。これは結果として、徹底したナショナリストで民主主義に敵意をもつ政党であるNSDAP国家社会主義ドイツ労働者党を、大衆運動に向わせる効果を生んだ。しかし大衆の動員と選挙とに成功したにもかかわらず、NSDAPは勝利するにはいたらなかった。大土地所有者、産業家といった旧エリート、軍の特権階級そして大ブルジョアジーは、ワイマールに距離を置いて専制体制を復活させることを決め、この目的のために国家社会主義の大衆運動を利用できると考えた。
「ワイマール共和政」ミュンヘン 1988年
学習の足跡 Pistes de travail1.
資料をもとにして、ワイマール共和政の失敗の主な理由を引き出し、範疇ごとに整理せよ。2.
あなたは、民主主義の崩壊を妨げる方法があると思うか?3.
ワイマール共和政が実現した措置は、どの程度重要と思われる?4.
ワイマール共和政とその失敗は、しばしば次のようなタイトルを想起させる。たとえば「ワイマール、未完成の民主主義」(Host Moller)、「民主主義はいかに自己に確信を抱くか」(Brancher とErdmann)、「賭けに負けた自由」(Hans Mommsen)などである。これらのタイトルは、どのように解釈を示しているか?あなたの視点にもっとも一致するのは、どのタイトルか?ワイマール共和政について、あなただったらどんなタイトルをつけるか?その理由をのべよ。
スポンサーサイト
trackback URL:http://billancourt.blog50.fc2.com/tb.php/241-82ecc36c