1936年、スペインでは人民戦線Le frente Popularが権力に到達した。しかしながら、この勝利は壊れやすいものであった。すなわち分裂した左翼(共産党、アナーキスト、ナショナリスト)が、教会と軍隊を拠り所とする保守的右翼に対立していた。各政党は、それぞれ自分の民兵を持っており、敵対が増大した。 7月、フランコ将軍の命令を受けた軍隊が、共和国にたいして反乱を起こした。国は内戦状態に陥り、国際社会に重大な影響を与えた。イギリスとフランスは、不介入を決定した。ソビエト連邦は、スペイン共和主義者を支援した。ドイツとイタリアは、1939年4月1日に勝利したフランコ主義者に軍事援助を与えた。 年表 1931年4月14日 第二共和制の宣言。アルフォンス13世が国外亡命。
1936年2月16日 総選挙で人民戦線が勝利。
1936年7月18日 スペイン植民地モロッコで、サンジュルジョ、フランコ両将軍が軍事反乱をおこした。スペイン市民戦争の始まり。
1936年9月9日 スペイン不介入についてのロンドン会議。
1936年9月 コミンテルンの支援。スペイン共和主義者支援の国際旅団の編成。
1936年10月1日 フランコに率いられたナショナリストの政府がブルゴスで誕生。
1937年4月26日 ドイツ空軍コンドル軍団によるゲルニカ空爆。
1939年1月26日 フランコ主義者によるバルセロナの奪取。
1939年3月28日 マドリッドにおける共和主義者の降伏。フランコ総統Caudilloの独裁始まる。
フランコ総統Caudilloが求めた秩序への復帰 [我が]国民運動は、欲望の体系に政治的支持者を、無関心に運動員の厳格さを対置させる。自由主義諸党の政治的無責任さのあとに、有機的なひとつの全体として構成される我々の十字軍の統一が続く。中立で理想のない国家は、使命を持った全体的な国家に取って代わられるであろう。この国家は人民に方向づけを与え、行くべき道を示し、迷いも後退もなく人民を指導する。
蜂起記念日に際してフランコ国家元首がおこなった演説 日刊紙 Heraldo de Aragonに掲載 1938年7月19日
民主主義の不干渉 フランス首相レオン・ブルムは社会党活動者会議において、不干渉を正当化した。
ひとたびスペインの地で軍備競争が起こったならば、今日の状況下において、ヨーロッパ全体にとってどのような結果をもたらすであろうか?[・・・] もし我々がこのような考えに達しても、驚かないでいただきたい。解決策でありますが、スペインを保証し、平和も保障することがおそらく可能であろうということは、国際協定の結論であります。この国際協定によってすべての国が、中立ではなく―この場合なにもしないという意味をもつこの言葉を問題にするのではなく―、武器の供与に関して拒否を誓うこと、そして軍事物資のスペインへの輸出の禁止を誓うことであります。
Luna-parcにおける、レオンブルムの演説 1936年9月6日
共和主義者のための国際的動員を呼びかけるポスター カタルニアの画家ミロJoin Miroによるステンシル(型) 雑誌「芸術手帖」Cahiers d'artに掲載。1937年
国際旅団の編成 我々があなた方の戦場に惹かれるのは、なによりもあなたたちの大義が私たちの大義でもあり、そしてそれは自由な人間の大義であるということを意識するからなのです。そしてそれは単なる理論ではなく、スペインの市民戦争を、ファシズムと反ファシズムの全面戦争に変えた、ドイツやイタリアのファシスト政府の介入に対して抗議の声を上げる意志なのです。
匿名記事の抜粋「武装した人民」(スペインにおける国際旅団の新聞)1936年12月
反ファシズムの知識人の参加 イギリスの作家ジョージ・オーウェルは1936年に、スペインにおける極左組織のひとつであるPOUM(マルクス主義統一労働者党)の民兵組織に参加する。
イギリスから直接着いたものにとっては、バルセロナのはっとさせる光景は、予想をはるかに超えたものだった。私の人生にとって、労働者階級が優勢である街に出会ったのははじめてのことである。重要な建物のほとんどは、屋上に赤旗、あるいは赤旗とアナーキストの黒旗がたなびいていた。ハンマーと鎌、革命的諸党の標章が落書きされていない壁はない。ほとんど全ての教会で、壁と聖画像が燃やされていた。[・・・]
革命のなかにも、未来のなかにも信仰が存在していたのが、とつぜん平等と自由の時代に突入したような印象である。もはや資本主義の機械の歯車としてではなく、人間は人間らしく振舞おうとしているのだ。
George Orwell, 「カタロニア賛歌」Hommage a la Catalogne, 1938 パリ
ドイツ空軍によるゲルニカ空爆 撮影者不明 1937年5月1日
学習の足跡 Pistes de travail 1.
フランコの政治プランはどんなものであるか?共和主義者のアーティストは、それをどのように戯画化したか? (「フランコ総統Caudilloが求めた秩序への復帰」とPedreroのポスターについて)
2.
知識人がスペイン共和国のために決起したのは、どのような理由からか?ここにあげた資料のほかに、共和国側あるいはフランコ主義側に参加した著名な作家およびアーティストを探し、特定せよ。 (PedreroとJoan Miroのポスター、「国際旅団の編成」について)
3.
スペイン戦争に対するヨーロッパ諸国の政府の立場はどのようなものであったか? (「民主主義の不干渉」とドイツ空軍によるゲルニカ空爆の写真)
(結論として)
4.
スペイン戦争はどの程度、第二次世界大戦の勃発へ導く決定的なステップとなったのか?
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