*これはフランスのLycée 1(高校2年に相当)で使われる文学・社会経済コースの仏独共同教科書です。
<資料>

ユダヤ人商店のボイコット
「ドイツ人よ、ユダヤ人の店で買わないようにしよう」 1933年4月1日ハンブルグ
人種法そして人種差別 1930年代においては、権利の剥奪や迫害が日常化し、激しさを増したにもかかわらず、ナチスの人種政策は明確なヴィジョンを欠き、また内部において一様ではなかった。ドイツのユダヤ人虐殺を目的とする計画は、このときにはまだ存在しなかった。
過激な反ユダヤ主義の新聞Der Sturmer [ 突撃者 ]のようなプロパガンダの手段を使って、社会の中に潜伏している、ユダヤ人に対する偏見による敵意を煽った。また反ユダヤ主義の法律も、権力によって進められる「アーリア人化」([ユダヤ人に対する] 強制販売、接収)によって利益を得る、多くのドイツ人の賞賛によって迎えられた。しかしこうした国民でさえ、1938年の「水晶の夜」のような、体制による暴力的な謀略を受け入れる部分は少なかった。

突撃隊SAによる、「人種的犯罪」の告発。
「私はこの辺の一番大きな雌豚で、ユダヤ人としか関係を持ちません」、「わたしはユダヤ人の若者で、私の寝室にはドイツ人の娘しか入れたことがありません」。 1933年7月 クックスハーフェン(ドイツ北部)
人種的迫害の段階1933年4月1日―「ユダヤ人に対するボイコット」 2月末に突撃隊SAが犯した反ユダヤ人の暴虐に対する外国の反応に対し、ナチス体制はボイコット運動を組織することで報復した。
1933年4月7日―「公務員団体再建法」 「アーリア人についての一節」という偏った思考によって、公共機関の反ユダヤ的「浄化」をめざすこの法律は、非アーリア人の公務員はすべて退職しなければならないと規定した。
1935年9月15日―「ニュールンベルグ法」 「ドイツ市民法」によって、ユダヤ人はドイツ市民権を剥奪された。「ドイツ人の血と名誉を保護する為の法律」(ニュールンベルク法)というバイアスによって、アーリア人種の生物学的純血性の保護を主張した。この法律は、ユダヤ人とドイツ人の性的関係を禁じた。
1938年11月9日~10日―「水晶の夜」 ユダヤ人虐殺は、突撃隊SAおよび親衛隊SSによって実行された。ドイツ全土でシナゴーグ(礼拝堂)が焼かれ、店と住居が破壊され、ユダヤ人市民が虐待された。テロについての「公式の」数字によると、死者91人、シナゴーグおよび公共の住宅の破壊267件、そして7,500の店舗が荒らされた。3万人を超えるユダヤ人男性が、強制収容所に送られた。
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