*これはフランスのLycée 1(高校2年に相当)で使われる文学・社会経済コースの仏独共同教科書です。
第三帝国のプロパガンダと文化政策 その2
ナチスの理想的な人間像Arno Brekerのブロンズ彫刻、1939年。「待機Bereischaft」1939年にミュンヘンの「芸術の家」で開催された「ドイツ芸術大展覧会」のときに、ナチスが「ドイツ」芸術によって理解するべきものとして教示した。
文化および歴史に関する反民主主義的な考え方 詩人ゴットフリート・ベン*1は最初の頃、1933年にはナチズムに好意を抱いていた。そして1934年から距離を置くようになった。仲間の作家たちは外国に亡命した。その中には、彼を激しく批難したハインリッヒ・マン*2 もいた。マンに対する回答の中で、ベンは文化および歴史についての反民主主義的な考え方を述べている。
あなたは歴史が発展することを、いったいどのようにして想像するのであろうか?[・・・] たとえば12世紀に、ロマネスク的な感性からゴシック的な感性へ移行するのをどのように思い浮かべるのであろうか?これはすでに議論されたのだと、あなたは考えているのだろうか?ひとりの人間が建築の新しいスタイルを思いついき、あなたが私に手紙を書いている彼の南の国(フランス)から、ここ北の国へ伝播したと考えるのだろうか? [民主主義社会のように] 人々は半円アーチ[ロマネスク] 、あるいは尖頭アーチ[ゴシック] に投票したと考えているのだろうか?[・・・] 私は、もしあなたが歴史を文学的に考えるのをやめて、もっと基本的な現象、すなわち抗しがたい勢いで歴史は発展するものと捉えるならば、あなたは前に進むことができるだろう。[・・・] 歴史はあなたの民主主義を知らないし、あなたの不自然な合理主義も知らない。歴史はその転換点に、新しい人間を送り込んでくること以外に、どんな方法もスタイルも知らないのだ。この新しい人間は、人種の尽きることのない深奥から出生し、自分に課された義務のために闘い、同じ世代と人種が有する思想を、時代の本質部分に打ち込む運命を背負っているのである。そして運命の命じるままに、いささかの妥協もなく、行動し、苦悩するのである。もちろん、この歴史の考え方は進歩主義でも、人間主義でもない。しかし形而上学的であり、人間についての私の捉え方でもある。
Deutsche allgemeine Zeitung, 1933年5月25日
*1 Gottfried Benn (1886年~1956年)ドイツ表現主義の詩人。ナチス政権初期はラジオ講演などを通じてナチスを礼賛しナチ党員までなったが、作風を批判され発禁処分を受けた。
*2 Heinrich Mann(1871年~1950年)ドイツの作家。1933年にヒトラーが政権を掌握すると、ただちにフランスに亡命。作家トーマス・マンは弟。
「退廃した」芸術(entartete Kunst)
近代芸術の作品は、ジョセフ・ゲッべルスの教唆のもとで、1936年におこなわれた第1回のプロパガンダ展覧会において、中傷の対象として展示された。
Pistes de travail 学習の足跡1.
ナチスのプロパガンダにおけるシステムの機能について述べよ。2.
イラストを参考にして、ナチスの美学がどのような表現的要素によって特徴づけられているかのべよ。得られる効果は何か? (絵画「総統が語る」、「映画の全体主義的美学」、「ナチスの理想的な人間像」について)
3.
ナチスが守ろうとした芸術の見方についてのべよ。反対に、ナチスが「退廃」と形容した芸術については、何が拒否されるのか? (「映画の全体主義的美学」、「ナチスの理想的な人間像」、「退廃した」芸術について)
4.
1933年における政治的背景を考えながら、Gottfried Bennの思索について論評せよ。第三帝国における彼の人生について情報を集め、なぜ芸術家や知識人もまた、ナチズムによって理性を失わされることになったのか説明せよ。 (「文化および歴史に関する反民主主義的な考え方」について)
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