*これはフランスのLycée 1(高校2年に相当)で使われる文学・社会経済コースの仏独共同教科書です。
歴史家の目 その1
歴史研究から見たヒトラーの役割 ナチス体制の指導者としてのヒトラーの役割は、歴史家によって評価が違ってくる。彼が「弱い独裁者」であり、その行動は当時の社会構造によって説明がつくという考え方は、今日では古くさいとされるのが一般的である。しかしながら独裁者の権力の個人的行使が、国家および党の諸機関に属する権限に連接させる方法については、まだ研究が続いている。ヒトラーは調停する指導者としての役割を強固にするために、権力間の錯雑と競合(複数支配polycratiques)を承知の上で維持したのであろうか?それとも権力の頂点に見られたカオスは、国家社会主義のイデオロギーが活用した「指導者Fuhrerの原理」を、ヒトラーが実行に移すことが不可能であったことを証明しているのであろうか?
ヒトラーの主な役割 「独裁者」においてチャップリンが描いた見事なカリカチュアに始まり、ヒトラーをドイツ資本主義の単なる操り人形とする説得力に欠けたイメージづくりにいたるまで、ヒトラーから権威を取り除く多くの試みがなされてきた。他方では、彼のパーソナリティは重視せず、ヒトラーはヨーロッパの征服というドイツ国民の押さえがたい渇望の象徴であり、暴力と死にとりつかれた人々のただ中にある集団的な圧力の化身であったという主張もある。[・・・]
民族主義、反ユダヤ主義、極端な急進主義に特徴づけられた大衆運動が、ヒトラーなしにでもドイツで生まれたであろうことは、確かにいえるかもしれない。しかし起こりうることではなく、現実に起こったことについて問題にするならば、記録されているものを読む限り、それがナチスの革命のただ中であれ、第三帝国の歴史の中であれ、他のどのようなものも、アドルフ・ヒトラーの役割に遙かに及ばないものであるということが、私には疑いのない事実のように思える。ナチス党の考え方も、それによってナチス党がドイツ国民に話しかける唯一の手段であるプロパガンダも、権力に達することを可能にした術策も、すべては異論の余地なくヒトラーが考え出したものである。1934年以後はもはや、彼には敵がいなかった。そして1938年には、思い通りに行動する上で邪魔になる最後の勢力を排除した。
Alan Bullock, 「専制政治についての研究」Eine Stude uber Tyrannei, Dusseldolf, 1967年

Alan Bullock(1914年~2004年)このイギリスの歴史家が1952年に書いたヒトラーの伝記は、長い間参考図書と見なされた。
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