第三身分はこの無名の集団の中に、すでに[国民]公会を孕んでいたのである。しかしながら、誰がそれを確認できただろうか?この弁護士の集団の中から、誰が不格好な体つきと青ざめた顔をしたアラスの弁護士 [ロベスピエールのこと-訳注] を見分けるというのか?
二つのことが注目される。シエイエスの不在であり、ミラボーの存在である。
人々はこの大行進のなかに、シエイエスの姿を求めたが、シエイエスはまだここにはいない。シエイエスはその非凡な洞察力によって、今後の手順と見通しから、不在が得策であると踏んだのである。
ミラボーは隊列の中にいた。そして万人の注目を集めた。その嵩高になった髪と、凄みのある醜さが際立った獅子頭に、ほとんどの人が度肝を抜かれ、たじろいだ。とはいえそこから目を離すこともできなかった。これこそ、まさに男であった。他はその影にすぎなかった。不運にも、この男も生きた時代の子であり、属した階級の子であった。その時代の上流社会がそうであったように、淫蕩に明け暮れ、スキャンダルをまき散らし、不品行の中で騒々しく、大胆不敵に生きた男であった。こうして、彼は自らを破滅させた。世間は、ミラボーの冒険、監獄生活、熱情といった話で満ちている。事実、熱情と激しさと憤怒の男であった。そのようなものを、他の誰がもっているというだろうか?そしてこの気難しく、なにかにのめり込む自らの感情に抗しきれず、ミラボーはたびたび俗悪の世界に引き込まれた。家族の冷酷な仕打ちによる貧窮のなかで、道徳観念が麻痺し、貧乏人の悪行も、金持ちの不行状もやってきたのである。家族による抑圧に加え、国家による抑圧、道徳による内心の抑圧、そして情熱の抑圧である。あぁ!これ以上の熱情をもって、この自由の到来を賛美する者はいなかったに違いない。ミラボーは、そこに自由を、そして魂の再生を見いだすことを諦めてはいないと、いつも友人に語っていた。ミラボーは、フランスとともに青年となってよみがえり、その汚れた古いマントを脱ぎ捨てるだろう。ともかく、彼はまだまだ生きなければならないのだ。逞しく、激しく、情熱的な、この新しい人生の一歩を踏み出したばかりだというのに、その黒ずんだ顔色と、痩せこけた頬は、ミラボーが深く傷ついていることを語っていた。そんなことはどうでもよいことだ!ミラボーは、その巨大な頭を垂直に保ち、その眼光はどこまでも不敵である。誰もが、この男のなかに、フランスに満ちている大いなる声を感じ取っていた。
第三身分には、おおかた拍手が起こった。その次に登場した貴族の隊列では、ひとりオルレアン公爵だけが拍手を浴びた。最後に国王にも拍手が起こった。三部会を招集したことへのお礼というわけである。人民の判定はこのようなものであった。
王妃が通りかかると、わずかにざわめきが起こった。何人かの女が叫んだ。「オルレアン公万歳!」。敵の名を口にすれば、王妃がさらに傷つくと思ったのである。王妃は気を失いそうになり、誰かにかかえられた。しかしすぐさま立ち直り、高慢な、しかしまだ美しい顔を上げた。王妃はそれ以来、蔑みのまなざしをもって、決然と民衆の憎しみに立ち向かった。いくら努力しても心が満ち足りていなければ、美を磨くことはできない。王女の取り澄ました姿を描いた絵が残っている。それは王女のお抱え画家であるルブラン夫人が1788年に描いたものである。夫人は王妃に好意を抱いている人なので、王妃の愛情そのものを描いたはずであるが、そこにはすでによそよそしく、人を蔑むような、そして冷ややかなものが感じられる。
こうしてこの平和と和合の美しい祭典は、争いも垣間見せた。人々はいつかフランスがひとつとなり、同じ思想のなかで抱擁しあう日がくることを示したが、同時にフランスを分かつ道も示したのである。議員たちに押しつけられた、この一様でない衣装を見るだけで、人々はシエイエスの次の痛烈な言葉が、今まさにここに現出しているのだと感じた。「三つの身分?いや三つの国民だ」。
続く

シエイエス ミラボー

ルブラン夫人が描いたマリー・アントワネット
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