宮廷は古書を調べさせ、おぞましい中世の儀典の細目、位階の対比、貴族社会の家柄と敵対関係を知る手がかりを探し出した。むしろ葬るべき代物であろう。ボルテールの後に、あるいは「フィガロの結婚」が上演された後に、紋章、肖像画、標章などを持ち出すのは、今や時代遅れである。それは収集家が宮廷に骨董趣味の手ほどきをするというよりも、選挙によって国王たちを産み出した庶民に屈辱を与え、見下し、自らの卑しいルーツを彼らに思い起こさせるという密かな快感であるというのが本当のところであろう。弱者というものは、土壇場で強者に屈辱を与えるという危険な気晴らしをするものである。
サン・テスプリ教会でおこなわれた聖霊ミサの日の5月3日には、議員たちがベルサイユに姿を現した。この親愛に満ちた和やかな感動の時に、国王は冷淡な態度をとった。議員たちのほとんどは、国王に好意を抱き、快くやって来た。その議員たちを、地方ごとにまとめて迎えるのではなく、身分別に入室させたのである。まず聖職者、つぎに貴族、そして休憩をはさんで第三身分という具合である。
廷臣や使用人の手違いによる、ちょっとした無礼と思われるかもしれない。しかしルイ16世自身が、古いしきたりにこだわったのは明らかである。5日の会議には、国王は着帽のままで臨んだ。貴族もそれに従った。第三身分も着帽のままでいようとした。しかし国王は、貴族との対等を嫌って脱帽させることにしたのである。
このような無分別な宮廷が、第三身分を跪かせ、長広舌をさせるといった馬鹿げたしきたりを思い起こして懐かしむなど、誰が信じたであろうか?そうかといってわざわざこの儀式を省くことも望まなかった。そこで第三身分の代表は弁舌をしなくてよいことにした。200年間にわたる断絶と沈黙を経て、ようやく自分の人民に接したというのに、国王は人民に語ることを禁じたのである。
5月5日議会は、国王のいる宮殿ではなく、パリ大通りにあるデ・ムニュの間で開催された。この部屋は、残念にも今は残存しないが、広大な大広間で、1,200名の議員と約4,000名の聴衆を収容できた。
ネッケルの娘スタール夫人も、歴史の証人として会議場にいた。父親が拍手を受けるのを見にきたのである。じっさい拍手が起こった。ミラボーが席に着こうと現れたとき、あちこちからひそひそ話しが聞こえてきた。それは不道徳の男に対してであろうか?悪徳のために死に瀕しながら、最後の晴れ舞台に登場してきたこの華やかな社交界の連中に、人を厳しく咎める資格などないのだ。
続く
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