
ミラボー シエイエス
10日の会議以来ミラボーは、シエイエスが水面下で事を進めているように見えて、不安になった。シエイエスのこの真っ直ぐな歩みは、ある地点で王政そして貴族と真っ向からぶつかるのだ。この歩みは、虫食い状態にある偶像に敬意を払って止まるのだろうか?とてもそのようには見えない。ところでミラボーを、自由を希求する男にしたのは専制政治の容赦ない鞭であったが、それにもかかわらず、世に知られたこの扇動家は、その好みも振る舞いも貴族のものであり、根っからの王党派であった。いわば生まれも血筋も、である。二つのものが、ミラボーを駆り立てる。ひとつは崇高なもの、もうひとつは卑俗なもの。貪欲な女たちに囲まれたミラボーは、金を必要とした。そしてミラボーにとって王政は、手を広げて待っている気前の良い手に見えるのである。その手は金と優遇を注いでくれる。王政はこれまで、ミラボーを冷酷非情に扱ってきた。しかし今ではそのことすら、ミラボーに王制に対する親しみを感じさせるのである。自分を牢獄にぶち込む命令に17回も署名した国王を救うことが立派なことだと思えたのであろう。このようにこの哀れで偉大な男があまりにも度量が大きく気前がよいので、できることならくだらない取り巻き連中に向かって、また彼を家族から引き離した父の非情な仕打ちに対して、彼のこれまでの不徳を投げ返してやりたいと人々は思ったくらいである。ミラボーの父親は、一生を通して彼を不当に虐げてきた。しかしミラボーは死に臨んで、父親のそばに埋葬してくれるよう頼んだのである。
10日、シエイエスが出頭しない者に対して不出頭の宣告をするよう提案した時、ミラボーは断固としてこの厳しい発言を支持し、熱弁をふるった。しかし同時に危うさを感じたミラボーは、その夜、敵であるネッケルと面会するよう手を尽くした。ネッケルに状況を理解させ、自分の雄弁をもって王政に手を貸そうという訳である。
それはネッケルの冷たい応対と激高を招いたが、それでもミラボーはシエイエスの道を塞ぐ積もりは毛頭なかった。そして革命によって昨日までの自分から立ち直り、革命の他はなんの力も持たない雄弁家であることを止めようとはしなかった。というより革命と真正面から向き合おうとし、そして革命を終わらせることができると思いこんでいるのである。
他の誰もが、そこから抜け出せずに命を落とした。ミラボーが一度ならず不人気に陥り、そのたびにそこからはい上がることができたのも、このとびぬけて感受性が強く、言葉の才に長けた国民に、雄弁は力であるという壮大な考えを植え付けたからである。
ミラボーの主張ほどわかりにくいものがあるだろうか!ミラボーは、感動し熱狂する民衆を前に、危機の高まりによって自ずと高まった人民を前にして、次のことを論証しようとした。「人民はこのような議論に興味はないのだ。払えるだけ払い、そして平穏のうちにこの悲惨さが無くなることだけを求めているのだ」。
この通俗的で哀れを誘い、意気を挫きそのうえ根拠に乏しい言葉を吐いた後で、ミラボーはあえて次のような原則的な問題を提起した。「諸君を招集したのは誰だ?国王だ。では聞くが、諸君の委任および陳情書は、名を知られ承認済みの代表のみで構成する議会を宣言する権限を諸君に認めているか?そして、もし国王が諸君の委任と陳情書にたいし認可を拒否したとすれば?結果は明らかである。略奪と殺戮が諸君を襲い、内戦という忌まわしい栄誉さえも諸君は手にすることはないだろう」。
続く
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