朝、投票が始まろうとする時、議長は国王の手紙を手渡すために国璽尚書に召喚されたことを知らされた。この国王の手紙は、三身分の協力なしに何事も進まないと諭す内容である。それは絶妙のタイミングで、100名の反対者に手本を示し、長い論議のきっかけを作り、多数の優柔不断の者たちを不安にさせ、その意気を挫くであろう。
議会は、粛然と国王の手紙の件を先送りにし、審議が終了する前に議長が議場を去るのを禁じた。議会は投票することを求め、投票を開始した。
様々な提議がなされたが、それは三つ、あるいはむしろ二つの案にまとめることができる。
1.シエイエスの案―「国民」議会
2.ムーニエの案―少数派の欠席の中での、国民の「多数派」の代表の議会
ミラボーのどうとでも解釈できる表現は、ムーニエの案の中に包摂された。すなわち「人民」という言葉は、限定された意味に理解されたのである。すなわち「国民の多数部分」として。
ムーニエの案の方が実態を正確に表し、算術的に厳密である点で優位に立つようにみえるが、核心のところでは公正さに反している。公正さというものは、極端に異なる価値をもつ二つのものを釣り合いよく対立させ、対比し、同格に扱うことである。議会は国民を代表している。特権身分を代表する者は僅かである。つまり特権身分が4%(シエイエスによる)ないしは2%(ネッケルによる)を占めるのに対して、国民は96%ないしは98%を占める。なぜこの2%ないし4%に、あのような巨大な権勢を与えるのか?精神的な権威を保持しているからでは決してない。もはやとっくに喪失している。実態を見れば、王国の3分の2におよぶ土地の所有権を手にしているためである。ムーニエは、住民ではなく土地所有権の、人間ではなく土地の弁護人であった。ムーニエが封建制、イギリスそして物質主義の観点に立ったのにたいして、シエイエスは、真にフランス的な名称を与えた。
ムーニエの算術、不公正による的確さ、そしてミラボーの曖昧な考えによれば、国民は「ひとつの階級」のままでとどまり、大土地所有、すなわち土地もまた、国民に相対する「ひとつの階級」を構成する。我々は古代から存在する不公正、そしてそれを引き継いだ中世の野蛮な封建制度から抜け出せないでいた。そこでは人間より耕地が重視され、才覚のある領主にとっては、土地、そして土地を肥沃なものにする肥料と灰が大事というわけである。
投票がおこなわれ。シエイエスが500票近くを獲得した。反対票は100票にも満たなかった。かくして議会は「国民議会」を宣言した。多くの者が叫んだ。「国王万歳!」
二つのことが、またも議会を中断させようとする。一つはちょっとしたことを口実にした貴族の言いがかり。もう一つは、まず何よりも正式な議長の選任と、事務局の設置を優先させようとする何人かの議員によるものである。議会はかまわず先に進む。厳かな雰囲気の中で、宣誓の儀式にとりかかった。感動した4千人もの聴衆を前にして、その深い静寂のなかで、起立した600名の議員が片手を高く差し上げた。誠実で厳粛な面持ちの議長の顔をしっかりと見つめ、起草文が読み上げられるのを聞き終えた彼らは、声高に叫んだ。「我々は誓う!」。同一の崇敬の思いが、議場の全ての者の心を満たした。
議会は正当な根拠を獲得し、生き続けている。欠けているのは、力であり、これから生き続ける確証である。議会は課税の権利を手にすることで、その確証を得た。「その時まで不法である」税は、「現在の議会が分離している間」「暫定的に」徴収されると宣言したのである。それは一挙に、過去の全てに有罪を宣告し、未来を手にすることである。
議会は、特権の問題と国債について公然と採択し、その保証人として名乗りをあげた。
そしてこれらの王政に関する議事録は、全て王室の言葉によって、これまで国王のみが用いた表現によってなされた。「議会は、それを理解し、布告する」。
続く
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中学生になった気分で私といっしょにフランスの公民科の勉強を続けましょう。^^
この秘書課広報室のどちらかというと熱心な読者の方で...