パリにとって不安なのは、国民議会の無気力さである。7月11日、国民議会は上奏に対する国王の回答を受け取ったが、それで満足した。しかし一体、どのような回答だったのか?それは、軍隊は議会の自由を保障するためにそこにいるのであって、もし猜疑心を抱かせるのであれば、国王はノワイヨンかソワソンに軍隊を移動させる、つまり2部隊か3部隊の配置に留めるというものであった。ミラボーは、軍隊の退去を強く求めるというところまでしか行きつけなかった。聖職者と貴族の500名の議員の結束が、議会を苛立たせたのは明らかである。議会はこの大問題をひとまず脇において、ラファイエットが提起した人権宣言に耳を傾け始めた。
穏健派、極めて穏健派の博愛主義者ギヨタンが、この議会の平穏ぶりを、わざわざパリの選挙人集会に伝えに来た。誠実な男ではあるが、明らかに間違いを犯した。彼は全てがうまく運んでおり、ネッケルの立場もこれまでになく堅固なものになっていると保証したのである。このすばらしい知らせに拍手が起こった。そして議会に劣らず騙されやすい選挙人たちは、幸運にもヴェルサイユからもたらされたばかりの素晴らしい権利宣言について、議会と同じように議論に没頭した。まさにこの日、好人物のギヨタンが話している時には、罷免されたネッケルがすでにヴェルサイユを遠く離れ、ブリュッセルに向かっていたのである。
即時退去の命令を受け取ったとき、ネッケルは机に向っていた。3時であった。大臣職に強い愛着をもっていたこの哀れな男に、涙なしに大臣室を去ることができようか。それでも会食者の前では、感情を抑え平静に振る舞った。夕食後、娘に知らせることもせずに、妻と出発した。そして王国を去る最短のコースである、オランダを経由した。王妃の愚劣な取り巻き連中は、ネッケルを逮捕すべきであるという意見である。ネッケルをあまりにも知らなさすぎる彼らは、彼が国王に従わずパリに合流することを恐れたのだ!
ドゥ・ブログリ元帥もブルトゥィユも、召還された最初の日、軍隊の配置先がわかった瞬間たじろいだ。ブログリはネッケルの罷免について否定的であった。ブルトゥィユは次のように言ったであろう。「それでは、10万の兵隊と1億フランを我々に与えてください」。「そうします」と王妃は答えた。そして秘密裏に紙幣が製造され始めた。
ドゥ・ブログリ元帥は、唐突な召還に加えて71歳という老齢から、あちこち動きまわるだけで少しも行動を起こさなかった。命令とその取り消しが交錯した。元帥の館が司令部となり、事務官、命令書、そして命令を待っている馬上の副官で溢れた。そうした中で「将官名簿が作成され、戦闘体制が整った」。
軍部の内部では、意見の一致はあまり見られなかった。少なくとも三人の司令官がいた。これから陸軍大臣になるブログリ、まだ陸軍大臣職にあるピュイセギュール、もう一人は8年のあいだ王国の諸地方の指揮権を握りながら、にべもなく老元帥に服従するように通告されたブザンヴァルである。ブザンヴァルは、現在の容易ならざる局面、そしてここが田舎ではなく、興奮が最高潮に達している80万の住民をかかえた都市と向かい合っていることを老元帥に説明した。ブログリは、彼の説明に耳を傾けようとはしなかった。7年戦争の経験に凝り固まったブログリには、市民を軽蔑しきった、粗野な武装集団としての兵士しか頭に浮かばなかった。そして民衆とは、軍服姿を見るだけで逃げ去るものと思い込んでいた。ブログリは、パリに軍隊を送ることは必要ないと思っている。外人部隊の連隊がパリを包囲することで充分である。それによって民衆の苛立ちが増大することには、気にかけないのである。確かにこのドイツ人兵士たちを見ると、オーストリアとスイスからの侵攻のような様相を呈している。彼らの連隊の蛮勇なる名前は、聞く者を恐れさせた。すなわちシャラントンに駐留するロワイヤル・クラヴァット[王のネクタイ-訳注]、セーヴルのライナッハ、ヴェルサイユのナッソー、イシーのサリス・サマード、士官学校の軽騎兵ベルシュニィ、その他シャトーヴィユー、エステルハズィー、ルメールなどである。
厚い城壁でしっかりと守られているバスティーユは、スイスからの増援を受け入れたところである。バスティーユは、弾薬と夥しい量の火薬を保有しており、それはパリ全体を爆破できるほどである。塔の上では6月30日以来、装填済みの大砲の列が、敵意を抱くかのようにパリを睨んでいる。そして銃眼越しに、砲身をすごむように突き出していた。
第1巻第5章 終わり
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