第6章 パリの蜂起
危機にあるパリ。1789年7月12日、爆発するパリ。活動停止のヴェルサイユ。軍隊の挑発。パリは武器をとる。7月13日、国民議会が国王へ上奏するが無意味に終わる。パリ選挙人たちが、武装を許可。市民衛兵の組織化。選挙人たちの躊躇。火薬を手に入れた人民が、銃を探し求める。宮廷の保安。
6月23日から7月12日にかけて、人民の爆発に対する国王の脅しは、奇妙な休止を見せた。ある観察者は、それは重苦しく陰鬱で、嵐を予感させる空模様のようであり、不安で落ち着きのない夢想のようでもあり、幻想と動揺に満ちたものであった語っている。誤った警報、誤った情報が飛び交い、様々なつくり話が出回った。人びとは知っているようで、確かなことは知らなかった。それでも全てを説明し、全てに答えを出そうとした。ちょっとしたことにも、重大な何かが含まれていると思ったりした。その動きは誰とはなしに、筋書きもないまま始まった。民衆の心に蓄積した不信と、抑えつけられていた怒りが表出したのである。敷石が燻り、土が焼かれて、その下の火山がすでに鳴動しているのが聞こえるであろう。
早くも最初の選挙人集会でボヌビルが「武器を取れ!」と叫ぶのを、人びとは目にした。このパリの名士会の集まりで調子外れの声で叫び、その場に倒れ込んだ。ある者は怯え、またある者はおもしろがった。誰かが「若いの、君は2週間のあいだ、動議し続けたまえ」と預言者のようなことを言った。
武器を取れというのか?すべてにわたって統制され、パリの各市門を固めている軍隊に対して。武器を取れというのか?この軍隊がパリをいともたやすく兵糧攻めにできるというのに。欠乏がすでに感じ取れるというのに。パン屋の前に長蛇の列ができはじめたというのに。やせ細り、ボロを纏った貧しき人びとが、旅用の長い杖をつきながら、田舎からパリのあらゆる市門を通って入ってきた。そして2万の乞食の集団がモンマルトルに住み着き、パリを見下ろしている。もしパリが運動を起こさなかったら、このもうひとつの軍隊が降りてくる恐れもあった。すでに何人かが市門を焼き払い、略奪を試みていた。
宮廷が最初の攻撃に出ることは間違いない。宮廷にとっては、国王をためらいや和平の気持ちから引き離し、いっさいの妥協を排除する必要がある。そのためには、ぜひとも打ち負かさなければならないのである。
ソンブルイ家とポリニャック家の若い軽騎兵士官たちは、パレ・ロワイヤルまで出かけて群集を挑発し、サーベルを抜いた。明らかに宮廷は、自分の力を過信し武力に訴えたいのである。
続く
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