
「武器を取れ!」と訴えるカミーユ・デムーラン
デムーランの演説
7月12日の日曜日の朝の10時まで、パリではまだ誰もネッケルが追放されたことを知らなかった。そのことが洩れたのは、パレ・ロワイヤルにおいて貴族の扱いを受けていた者が、脅されて口にしたからである。これが確認されると人から人へと伝わり、同時に怒りも広がった。その時たまたま、正午を知らせるパレ・ロワイヤルの大砲が轟いた。「この轟音が、人々の心にもたらす不安と沈鬱な感情を言い表すことはできない」と、新聞「国王の友」が書いている。カッフェ・フォワから出てきたカミーユ・デムーランという青年が、いきなりテーブルの上に跳び乗り、そして剣を抜き、拳銃を高々と掲げながら叫んだ。「武器を取れ!シャン・ド・マルスのドイツ人兵が、今夜市民を虐殺するためパリに侵入しようとしているのだ!みんなリボンをつけよう!」デムーランは木から一葉をもぎ取り、それを帽子に付けた。そこにいたみんなも同じようにした。木はたちまちに裸になった。
「芝居もなし!ダンスもなしだ!今日は喪に服する日としよう」。誰かが蝋人形の展示場から、ネッケルの胸像を持ち出した。他の者たちもこれを機会とばかりに、オルレアン公の胸像を見つけだしネッケルと並べた。人びとはそれに喪のベールをかぶせて掲げ、パリの街を練り歩いた。棒、剣、拳銃、斧などで武装した列が、まずリシュリュー通りに出て、ついで大通りに入り、サン・マルタン、サン・ドゥニ、サント・ノレの通りへと進み、ヴァンドーム広場まで来た。広場では、徴税請負人の館の前に、竜騎兵の分遣隊が待ち受けていた。そして民衆に襲いかかり、追い散らし、彼らのネッケルを壊した。一人のフランス衛兵が、丸腰のまま敢然としてそこにとどまり、殺された。
その日のうちに難攻不落に見える市門、徴税請負人の堅牢な小砦が、いたる所で民衆に襲われた。守備隊の守りは十分とはいえなかったが、それでも民衆を殺した。攻撃された各市門は、一晩中燃え続けた。
パリのすぐ近くにいる宮廷が、何も知らないはずはなかった。しかし命令も出さず、軍隊も送らず、動かずにいる。あきらかに騒乱が大きくなって暴動となり、そして戦争になるのを待っているのだ。そうなれば、レヴェイヨン事件があまりにも早く収束したことにより宮廷が逃したもの、すなわち議会を解散させるもっともらしい口実を手にすることができるのである。それゆえ宮廷は、パリに好きなだけやらせて、違法状態に陥るのを待った。ヴェルサイユとセーヴルおよびサン・クルーの橋をしっかりと固め、パリとの連絡路の全てを絶った。そして最悪の場合でも、いつでもパリを兵糧攻めにできると確信している。宮廷の護衛はといえば、軍隊の3分の2がドイツ人兵士である。宮廷が怖れるものは?何もない。フランスを失う以外は。
パリ担当大臣(当時は一人いた)は、ヴェルサイユにとどまった。他の当局者は警察中尉、パリ市長のフレッセル、知事のベルティエであったが、同様に何もしないように見えた。フレッセルは宮廷に召還されていたが、赴くことは出来なかった。しかしおそらく何らかの訓令は受けていたであろう。

ネッケルとオルレアン公の胸像を掲げる民衆

デムーラン
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