
チュイルリーの蛮行
司令官のブザンヴァルはブログリの命令がなしには動けないので、責任もなく士官学校に所在なさそうに座っているだけである。フランス衛兵をあえて使う気のないブザンヴァルは、彼らを禁足状態に置き続けた。しかし彼は、他にもいくつもの部隊の分遣隊、そして待命中の三個連隊、スイス人兵の一個連隊、ドイツ人騎兵隊二個連隊をもっていた。午後になると騒乱が大きくなると見たブザンヴァルは、配下のスイス人兵を大砲4門とともにシャン・ゼリゼに配置し、ルイ15世広場にいる騎兵と合流させた。日曜日の人びとが家路につく日暮れ前の時間に、シャン・ゼリゼを通ってやってきた人の群れがチュイルリーを埋めた。大部分は手向かう恐れのないそぞろ歩きの者や、「騒ぎがあったので」早い時間に帰宅しようとする家族連れであった。しかしその場に戦闘態勢のまま整列しているドイツ人兵の姿は、依然として動揺を与え続けた。男たちはののしり、子どもたちは石を投げた。結局のところブザンヴァルは、あとで何もしなかったとヴェルサイユで批判されるのを恐れたのだ。その軽率さにふさわしい無分別で粗暴な命令を出し、竜騎兵に民衆を追い払らわせた。民衆は固まっていたので、逃げるときに何人かが踏み潰された。チュイルリーの中に入った竜騎兵の連隊長であるランベスク公が、最初は並足で馬を進めた。すると椅子でつくったバリケードに行き当たり、瓶や石がランベスクめがけて投げつけられた。これに何発かの銃弾を浴びせた。何人かの女が鋭い叫び声を上げた。男たちは、ランベスクの後ろにまわり、チュイルリーの出口を塞ごうとした。ランベスクは慎重に脱出を考えた。一人の男が倒され、踏みつけられた。逃げようとした老人が、重傷を負った。
民衆は恐怖の叫びとと怒号とともに、チュイルリーから逃げ出した。そしてドイツ兵が女や子どもまでも馬で蹴散らしたこと、ランベルス公が自ら手をかけて老人に怪我を負わせたことを口々に語ったので、この蛮行はパリ中が知るところとなった。人々は、武器業者のところへ走り、見つけしだい奪った。あるいは市庁舎に向かい武器を要求し、警鐘を鳴らした。市庁舎には、役人はひとりも残っていなかった。熱意のある数名の選挙人が、夕方6時頃やって来た。そして大広間の一角を自分たちの事務所とし、民衆に冷静になるように説得に努めた。しかしすでに広間に入っている群衆の後方では、後から来た群衆が「武器を寄こせ!」と叫んでいる。彼らは、パリ市が秘密の武器庫を持っていて、それを全て焼却するおそれがあると信じていた。彼らは衛兵を押しのけ、広間に入り込み、柵を押し開け、選挙人たちを事務所まで追いやった。そこで、起こったばかりの数多くの蛮行について一気に話した。選挙人たちは、市の衛兵用の武器の引渡しを拒否できなかった。しかしすでに人びとは、武器を探し出し手にしていたのだ。シャツは着ているが、靴下も靴も履いていない男が、すでに見張りの役を確保している。彼は銃を肩にかけ、広間の戸口で誇らしげに歩哨に立った。
選挙人たちは責任の重さを前にして、この運動を認めるまでには行かなかった。彼らは各区における招集のみ認めた。そして選挙人の何人かを派遣し、「武装市民の各部署において騒擾および暴力行為を先に延ばすよう、祖国の名において彼らに懇願した」。夜になって、フランス衛兵は極めて入念に行動を起こした。彼らは兵舎を脱け出し、パレ・ロワイヤルで隊を編成し、ドイツ人部隊に立ち向かい仲間の仇をとった。彼らは大通りで3名の騎兵を殺し、次いでルイ16世広場に行き避難した人たちを発見した。

ランベルス公の暴行
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