7月13日月曜、ギヨタン議員が、ついで二人の選挙人がヴェルサイユに行き、議会に「市民衛兵の創設に力を合わせる」よう要請した。議会は二つの代表団を派遣することを決議した。ひとつは国王へ、もうひとつはパリへ。議会が国王から引き出した回答は、素っ気なく敵意すら感じるもので、流血が重なる現在の状況からして理解しがたい内容であった。曰く、「国王が講じた措置は、いかなる変更もできない。その必要性を判断するのは国王だけである。議員がパリにおいて影響力をもつことは、いかなる良い結果も生まない」。議会は憤慨し、次のことを決めた。1.ネッケル氏の追放は、国民に遺憾の念を引き起こしている。2.国民は軍隊を遠ざけることを強く求めている。3.大臣たちだけでなく国王の助言者たちも、現在の不幸な状況に個人的に責任がある。その地位がいかなるものであれ。4.どのような権力も、破綻というおぞましい言葉を使う権利はない―第3項はおそらく王妃と王弟たちを指したもので、最後の項は糾弾である―。議会はこのように威厳ある態度をとった。議会は軍隊の包囲の中で、丸腰で法のみに支えられて、夜に予想される解散あるいは排除の脅威にさらされながら、大胆にも敵の顔面に、彼らにふさわしい真の名を貼り付けた。破綻した者たちという名を。
この決議をした後では、議会が避難するところは一カ所しかなかった。それは議会自身であり、議会が占拠している議場だけであった。ここ以外、この広い世界に1ミリたりとも自分たちの居場所はないのである。誰一人として、自宅に帰って寝ようとする者はなかった。議会はまた、宮廷が古文書を見つけ出すのではないかと案じていた。それで前日の日曜日、書記の一人であるグレゴワールが、すべての文書を包装し、封印し、ヴェルサイユのある館に隠した。月曜日に代理の議長を務めたグレゴワールは臆する者を彼の大いなる勇気で力づけ、あの球技場を思い出させ、ローマ人の言葉を口にした。「もし世界が崩壊するとしても、それは人を恐れさせる暇もなく襲ってくるであろう」(ホラティウス
Si fractus illabatur orbis, impavidum ferient ruinae)
連続の継続が宣言され、それは72時間におよんだ。有効な法令の成立に少なからず貢献したラファイエットが、副議長に指名された。
そうしている間にも、しパリは不安の頂点にあった。サント・ノレ街は、いつ軍隊が押し寄せるかわからないといった空気に包まれている。この夜、武器を置くように説得に走り回った選挙人たちの努力もむなしく、全ての者が武器を手にしていた。クロアチア人兵やハンガリー人兵をおとなしく迎え、王妃に[市の]鍵を渡そうとするものは誰一人としていなかった。月曜日の朝の6時になると、パリのすべての教会の鐘が、続けざまに早鐘を打った。数人の選挙人たちが市庁舎に向かうと、そこにはすでに群集がつめかけていた。彼らは群衆をそれぞれの区に帰した。8時、残った群集がなおも粘るのを見た選挙人たちは、市民衛兵は認められたが、まだ創設まで到っていないことを伝えた。民衆は、相変わらず「武器を寄こせ!」と叫んだ。選挙人たちはそれに答えてこう言った。「パリに武器があるにしても、手に入れることができるのは市長だけだ。それでは君たちは、市長を探しに人を遣るのか?」
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