
パリ市長のフレッセル
フレッセル市長はこの日、国王によってヴェルサイユに召喚されていたし、また市庁舎で人びとに面会を求められていた。民衆のこの呼びかけを断れないと思ったか、それともパリにいたほうが国王のために尽くせると思ったのか。いずれにせよフレッセルは市庁舎に出向いた。グレーヴ広場[市庁舎前-訳注]に着くと、拍手が起こった。そこでフレッセルは父親然として語った。「諸君、君たちはきっと満足するだろう。私は君らの父親だ」。そして広間に入ると、自分は人民の選挙によってのみ議長になることを望むと表明した。その上の階では、別の興奮が沸き起こっていた。
パリの軍隊はまだ存在しなかった。しかし人びとは、誰を将軍とするかをすでに議論していたのである。選挙人の議長を勤めていたアメリカ人のモロー・ドゥ・サン・メリーがラファイエットの胸像を指差すと、大きな拍手が沸いた。別の数人が、ドーモン公爵に司令官をお願いしようと提案した。公爵は一日待ってくれと頼み、そして断ってきた。二人目の司令官候補は、ド・ラ・サル侯爵であった。老練な軍人で愛国的な作家でもあり、献身と思いやりに満ちていた。
こうしたことで時間だけが経過した。民衆は焦燥感に駆られ、武装を急いだ。それは理由のないことでもなかった。モンマルトルの乞食たちが、つるはしを投げ捨て街に下りてきた。他所から来た流れ者の集団が攪乱したからである。そして想像を絶する窮乏が、至るところから飢えた住民をパリへ送り込んだ。飢餓がパリを占領した。
夜が明けてすぐ、サン・ラザールに小麦があるという噂を聞きつけた群衆がそこに駆けつけた。そして実際に大量の小麦粉を目にした。それは善良なる神父たちが貯蔵していた小麦粉を、50台を超える荷馬車に積んで中央市場に運ぼうとするところであった。人々は全てを破壊し、小麦粉を口に入れ、家の中に入って飲み物を口にした。いずれにせよ、これでなにひとつ運ぶことができなくなった。襲撃を最初に試みた者は、民衆がみずからの手で縛り首にした。
サン・ラザール監獄[サン・タントワーヌ通り-訳注]の囚人たちはすでに逃亡していた。借金のために収監されていた、ラ・フォルス監獄の囚人たちも解放された。シャトレー監獄の重罪者たちは、この好機をなんとか利用しようとして、すでに扉を打ち壊したところであった。門衛が逃げ去ろうとする一団を呼び戻した。そしてその者たちを中にいれ、反抗する者にたいして発砲し、再び監獄の秩序の下に服従させた。
武器庫にある武器は持ち去られていた。しかし後になって、律儀にも元に戻されていたのである。
選挙人たちは、もはや武装を先延ばしにできなかった。しかし制限しようと試みた。彼らは決議し、市長が告知した。60区が各々に選挙をおこない、選ばれた200名が武装するであろう。そして残りの者はすべて、武装を解除することになる。―それは、1万2千名の立派な軍隊である。治安維持には申し分ないところだが、防御にはあまりにも非力である。パリは破壊する者の餌食となるであろう。同じ日の午後、次のことが決められた。パリの自警団を、4万8千名とするというのである。そしてパリの市章の色を、青と赤にした。この法令はその日のうちに、全ての区において確認された。
昼夜にわたり公共の秩序を保つための常任委員会が設置された。常任委員会は、選挙人によって構成された。―なぜ選挙人だけなのか?と、ひとりの男が前に出てきて聞いた。―では、あなたは誰を指名して欲しいのか?―私だ、と答えた。男は拍手喝采で指名された。
そのとき市長が、重要な質問を、あえて口にした。誰に対して宣誓するのだ?―市民の議会だ、と選挙人のひとりが即座に答えた。
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