食料の問題は、武器の問題と同様に、差し迫ったものになっている。選挙人に召喚された警察中尉は、食料の入荷については、自分は全くあずかり知らぬことだと言った。市は出来る限りの自給を考えなければならなかった。パリの周辺は、すべて軍隊が固めている。食料を運んでくる農民や商人は、危険に身をさらしながら、ドイツ語しか話さない傭兵が占拠する宿駅や野営地を通過する。そして無事に着いたと思っても、なお市門を通過する困難が彼らを待ち受けているのである。
パリは、飢餓で斃れるか、乗り切るか、それも1日で乗り切るかである。いかにすればこの奇跡を期待できるか?市中にさえ、敵がいるのである。バスティーユにも、士官学校にも、そして全ての市門にも敵がいる。フランス衛兵隊は兵舎の中にとどまり、ごくわずかの兵を除いて、まだ意を決するまでに到っていない。奇跡はパリ市民が単独でもたらすのか。口に出すだけでも物笑いの種だ。パリ市民は、温和しく気弱で、気が良いことで有名である。それがとつぜん軍隊に、それも鍛え上げられた軍隊になるなど、全く起こりえないことだ。
冷静な人間、パリ市の委員会を構成する有力者およびブルジョアであれば、当然こう考えるであろう。時間を稼ぎたい。そしてすでに彼らの肩にのしかかっている過大な責任を、これ以上重くしたくないと。彼らは12日以来、パリを統治している。選挙人の資格においてか?選挙権とは、そこまで及ぶものなのか?ブログリ元帥が今にも、自分の軍隊を丸ごと引き連れて、釈明を求めてやってくるのではないか・・・と、彼らは考えていた。彼らの躊躇、これまでの曖昧な態度は、そこから来るのである。そして人々が彼らに疑念を抱き、彼らのなかに致命的な障碍を感じ取り、彼らなしにことを進めようとするのは、まさにそこなのである。
正午ころ、ヴェルサイユに派遣されていた選挙人たちが戻ってきた。彼らは、国王の脅迫的な回答と議会の政令を持ち帰った。
どうやら本気で戦争を始めるつもりだ。派遣された選挙人たちは、途中で緑の紋章を目にした。アルトワ伯の色である。そしてドイツ人兵だけの騎兵隊が、道路に屯している中を通り抜けてきた。皆、オーストラリア軍の白いマントで身を包んでいた。
物量面では気が遠くなるほど劣っており、わずかの望みも残っていないほどの状況である。しかし気力は漲っており、誰もが、今も刻々と胸の内に湧き上がってくるのを感じている。皆、闘いに志願しようと市庁舎に来た。それは同業組合であり、また多くの志願兵を組織した地区である。火縄銃の会社は助力を申し出た。外科学校は、ボワイエを先頭に駆けつけた。裁判所の書記組合は、真っ先に前衛で闘いたいと訴えた。この青年たちは全員、最後の一人になっても闘って死ぬと誓った。
闘う?しかし何で?兵士も、銃も、火薬もないのだ!
武器庫は空だったという話である。人びとは不満を抱えたままでいる。すこし時が経って、その近くで歩哨に立っていた傷痍軍人と鬘製造業者が、大量の火薬が運び出されるのを目撃した。それはルーアン行きの船に積み込むものであった。二人は市庁舎に走り、選挙人たちに火薬を運び込ませるよう迫った。一人の勇敢な神父が、火薬を見張り、人々に分配するという危険な任務を引き受けた。
スポンサーサイト
trackback URL:http://billancourt.blog50.fc2.com/tb.php/320-330715e1