これは、Education a la citoyennete (市民としての資格を学ぶ)という教科書で、小学校3年から5年までが対象です。(フランスでは小学校は5年まで)
私のもの
私たちが贈られたり、買ってもらったりしたものは、私たちの持ち物です。私たちは、それを自由に使えます。しかし壊したり、無駄遣いしてもよいということではありません。そうすることは、私たちに贈ってくれたり、買ってくれたりした人たちにたいして、敬意を払わないということなのです。
学校では、各々が自分の用具をもっています。みんな、他の人から用具を借りなければならなくなることがないように、自分の持ち物を無くさないように気をつけます。他の人から用具を借りるということは、その人の勉強を邪魔することなのです。両親がまた買わなければならないようにしないためにも、大事に使わなければなりません。そして持ち物や服に、自分の名前を書き込むようにしましょう。それは、もしそれを無くした場合に、拾得物のコーナーで、それが誰のものかをめぐって面倒が起きないためです。
君のもの
誰にも、自分に属さないものを持って行く権利はありません。持って行くと、盗みになります。学校でも、学校の外でも、盗みは禁じられています。それが盗まれたものでもです。それは隠匿になります。脅しによって、自分のものにすることも禁じられています。それはゆすりです。落とし物を見つけても、それは自分のものになりません。教師に届けるか、拾得物コーナーに持って行くかします。拾得物コーナーは、見つけたものすべてをそこに置いて、持ち主が現れるのを待ちます。誰かが、私たちにものを貸したとき、貸した人は、それが貸した時とおなじ状態で返ってくると思っています。私たちは、借りたものに注意を払い、返すときのことを考えなければなりません。
みんなのもの
学校では、私たちのものではないものを使います。机、ベンチ、本、体育用具、コンピュータなどです。これらは学校の用具で、私たちは気をつけて使わなければなりません。なぜなら、それはみんなが使うものだからです。もし壊したり、傷つけたり、あるいは無くしたりすると、新しいものを買わなければなりません。そうすると、私たちが使うことができるお金が少なくなり、他のことに使うことができなくなります。
学校の外でも、私たちは、みんなのものである備品や設備を利用します。ゴミ箱や、バスの停留所や、ベンチや、バス・電車の座席などです。ゴミ箱がひっくり返されると、ゴミや汚れたものは道路に投げ捨てられ、山のようになります。バスの停留所が壊されると、座ることができなくなります。みんなのものを大切にすることは、自分の利益になるのです。みんなの利益にもなるのです。
トミは、風呂場のゴミ箱の中で、オマのブレスレットを見つけます。洗面台の棚から落ちたに違いありません。ところが!トミは迷いもしないで、ポケットの中に仕舞いました。次の日、トミはレアを見つけようとじりじりしています。ふたりが会ったとき、トミはひもがうまく結ばれていない箱を、レアに差し出しました。
-これを受け取ってくれ、レア。僕のプレゼントだ。本物の宝石だよ。
レアはブレスレットを受け取り、トミにありがとうといいました。
家に帰ったとき、トミは、母親と祖母の会話を聞いてびっくりしました。
-あのブレスレットは、パパの思い出なの。二人だけで、トレドに最後の旅行に行ったとき、パパが私にプレゼントしたものなのよ。
オマは、頬に涙を流していました。そしてトミは、とんでもない馬鹿なことをしたと感じていました。
Nicole Sehneegans 《 Le cadeau bolé 》, J’aime lire no 245,1997
スポンサーサイト
trackback URL:http://billancourt.blog50.fc2.com/tb.php/342-e9a2673d