これは、Education a la citoyennete (市民としての資格を学ぶ)という教科書で、小学校3年から5年までが対象です。(フランスでは小学校は5年まで)
みんな違う
各々の個人は、取り替えることができません。私たちの間には、性の違い、皮膚の違い、身長の違い、体重の違いがあります。また才能も違います。私たちの何人かは速く走れて、何人かは器用で、何人かは記憶力が優れています。同様に、性格も違います。内気だったり、騒がしかったり、陽気だったり、空想家であったりします。そして好みも違います。ある人たちは数学が好きで、他の人たちはスポーツや好きだったり、絵を描くことが好きだったりします。その他の違いももちろんあります。生き方の違いや、言葉の違いや、信条の違いなどです。
それが良いのです!私たちがみんな同じ様だと想像してご覧なさい。互いに見分けることもできません(私たちが同じ顔をしていたら)。新しい人を見つけることも、討論することもできないでしょう(同じ瞬間に同じことを考えているとしたら)。
みんな平等
私たちが違っていて、その違いが見えるにしても、見えないにしても、私たちはみんな同じ価値をもち、みんな平等なのです。
それは私たちがみな、同じ権利を持っているということを意味します。すなわち尊重されるという同じ権利、自分の意見を述べるという同じ権利、教師の質問に答えるという同じ権利、間違えるという同じ権利です。それは私たちの社会の本質的なひとつの価値であり、フランス共和国の標語によって認められています。
全ての国民、そして私たちも、同じ義務をもっています。すなわち同じ規則に従う義務、努力をする義務、他の人を尊重する義務などです。
人を助けることは、時々、その人が他の人と平等であるために必要であることがあります。教師が、難しいと思っている生徒に時間をかける時がそうです。なぜなら、生徒はすべて、授業を理解する権利をもっているからです。それはまた、病気の生徒やや違った文化をもった生徒を受け入れ、クラスが適応すべき時もそうです。
ある街からもう一つの街に、船で人を運ぶ船長がいた。船長は自分の仕事についてよく知っており、人々は彼の経験と勇気を高く評価していた。ある日、ひとりの文法学者が船に乗り込んできた。高慢な男で、うまく話せない人を馬鹿にしていた。その人の発音や、正確でない表現をからかっていた。その日船長は、船乗りの話をした。文法学者はみんなの前で、けちをつけるために話を遮った。
―君は文法書を読んだことがあるかね?
―いいえと、船長は驚いた様子で答えました。文法は、学校で少し習った。しかし君が言っている学問についてはしらないよ。
文法学者は、得々として次のように締めくくった。
―君は人生の半分を無駄にしたね!
数時間がたって、空には厚い黒雲が垂れこめ、風が嵐に変わった。船は縦に揺れて、危険な状態になった。船長は乗客を助けるために忙しく立ち回った。突然、体を縮込ませている文法学者のところに跳んできて、尋ねた。
―泳げるかね?
文法学者は怯えたような小さい声で答えた。
―いや、泳ぎは習わなかった。
船長は言った。
―君の人生の全てが無駄になるよ!
D’apres L. Ibrahim-Ouali et B. Amvar-Mortag, Sugesses et malices de la Perse,Albin Michel, 2001
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