これは、Education a la citoyennete (市民としての資格を学ぶ)という教科書で、小学校3年から5年までが対象です。(フランスでは小学校は5年まで)
「人と市民の権利宣言」(抜粋)
第1条 人間は権利において自由かつ平等に生まれ、生存する。
第2条 人の権利は、自由、所有権、安全、圧政への抵抗権である。
第3条 何人も、もし国民によって権力を委託されていなければ、権力を行使することはできない。
第4条 自由とは、他人の自由を害することがない全てのことを行うことである。
第6条 すべての市民は、法の前に平等である。
第7条 何人も、法律が規定する場合を除いて、訴追、逮捕あるいは拘禁されない。
第10条 何人も、それが宗教上のものであっても、自分の意見を脅かされることはない。
第11条 伝達する自由は、人間のもっとも大切な権利のひとつである。それゆえ、すべての市民は自由に発言し、記述することができる。
第13条 租税は、財力に応じて、すべての国民によって分担されなければならない。
1789年の革命
「人と市民の権利宣言」は、フランス革命のさなか、1789年8月26日に宣言されました。当時の国民議会の議員たちはここに、自分たちが信じ、フランスのために求めた本質的な価値を確立しました。こうして彼らは、不平等である絶対王政を終わらせました。絶対王政では、国王がすべてを決め、市民がすべて同じ権利をもつ社会ではありませんでした。
1789年の宣言
人と市民の権利宣言は、全てのフランス人に適用される個人的および共同の権利を宣言しています。これらの権利の最初に挙げているのは、全ての人にとって基本的な自由です。次に全ての人の間の平等がきます。とくに法律は、全ての人に対して同一です。法律の条文は、権力は自分の代表を選ぶ国民に属すると書いています。つまり何者も自分が決めたことを押しつけることができないように、多くの人が権力を共有するのです。
遅々とした宣言の実施
この宣言が採択されて以降、フランスが常にこの人権を守ってきたわけではありません。人権は何度も奪われ、幾人かの人物が市民の同意なしに権力を行使し、自由は制限され、全ての国民の間の平等は守られませんでした。第二次世界大戦の間は、人々はその出身(ユダヤ人、ジプシーなど)を理由として逮捕されました。しかし宣言は、フランスがそこに向かって進歩する目標であり、そのために市民が絶えず結集するのです。
条文の影響力
人と市民の権利宣言は、多くの国の規範となりました。宣言の価値は、今日世界中で支持されています。1948年、世界のほとんどの国が、世界人権宣言を採択しています。この宣言は、1789年の「人と市民の権利宣言」の基本原理を模範としています。
1789年の革命
フランス革命の最中の1789年、国民議会の議員たちは、(全ての権力を国王に与えていた)絶対王政を終わらせ、わずかの人たちに認めていた特権を廃止し、人々の基本的権利について深く考えました。
「真理は人に、彼の権利とはいかなるものであるかを教える。真理は人に、彼の義務がいかなるものであるかを教える。彼の権利がいかなるものか人に教えることによって、人は他人の権利を尊重する。銅板に人の権利宣言を彫り込むことによって、我々は政府の行き過ぎを止めさせ、我々の次に生きる者たちをそこから守らなければならない」。
―1789月1日、人と市民の人権宣言についての審議におけるタルジェ議員の演説
⇒タルジェ議員は何を求めているのでしょうか?
⇒彼は自分の観点を、どのような論拠で補強しましたか?
そして私は?⇒他の人より多くの権利をもちたいと思うことはないだろうか?
1789年の宣言
⇒宣言に書いてある条文を、ひとつひとつ説明しなさい。
⇒宣言に挙げてある権利を、ひとつひとつ例を挙げて説明しなさい。
⇒世界人権宣言(P156を参照)を読み、この宣言と同じところと違うところはどこでしょう?
そして私は?⇒他人の権利を守ることがときどき難しいと思うのは、どの権利だろう?
遅々とした宣言の実施
1899年8月20日の新聞
19世紀、フランス将校アルフレッド・ドレフュスに、スパイ行為をおこなったという判決が下された。無実にもかかわらず、ユダヤ人という理由で有罪となったのである。
⇒この裁判の判決を説明しなさい。
⇒ドレフュス事件は、どんな理由によって人権を侵害しているのでしょうか?
⇒人権が守られない他の事例を知っていますか?
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