
全国三部会
議場は我慢づよく三つの演説に耳を傾けた。国王、国璽尚書、それにネッケルの演説である。どれも論点は同じで、目下の情勢に対応するものではなかった。国王は長い断絶の後、やっと国民の前に姿を現したのであるが、国父らしい話も、心を打つ言葉もひとつとしてなかった。内容は改革の精神についての説教であったが、それはぎこちなく自信がなさそうであり、それでいて陰険さを含んでいた。国王は、思いやりも見せた。それは「自らの財政上の特権を放棄する気を見せようとする」二つの特権身分に向けたものだった。三つの演説は、はじめから終わりまで財政問題であった。権利の問題については、わずかに触れるか、あるいはまったく触れないかであった。それは全ての魂を満たし、高揚させるもの、すなわち平等であるべき権利のことである。国王と二人の大臣は、悲壮感をぎこちなく漂わしながら、ある時は大げさに、次にはおよそ気品に欠けた言葉を口にしたが、三人とも、問題は税、金、生計、そして食糧の問題につきると確信しているようにみえる。そして特権身分が、施しだと思って、課税の平等について第三身分に合意すれば、全てはうまくいくと信じている。だから三つの演説において、犠牲を払って免税特権を放棄しようとする特権身分に対して三つの賞賛が聞かれたわけである。三人の演説は次第に熱を帯び、ネッカーに至っては、歴史上これ以上のヒロイズムを見いだせないとまで言った。
それは讃辞というよりも勧告に聞こえ、これほどの称賛にもかかわらず、この感動的な犠牲がいまだになされていないということを露骨に語っていた。一刻も早く、なされますように!第三身分をかかしのように招集し、またいとも簡単に追い払うであろう、国王と大臣たちにとっては、それが専らの問題である。この大いなる犠牲であるが、それはまだ部分的で、あいまいな保証しか手にしていない。数人の領主が特権の放棄を申し出たが、他の領主は彼らをあざ笑った。聖職者においても同様に、幾人かが、聖職者会議において確認された見解に逆らって、特権の放棄に対する期待に応えた。この二身分はその点について、少しも釈明を急がない。つまり、肝心な言葉は口にしていない。まだ喉元にあるのだ。
聖職者が屈服してやっと特権を断念したのは、ふた月が経過した6月26日である。貴族はその時でさえ、放棄の「約束」をするのみであった。それは最も重大で、最も凄まじいふた月であり、あえて言うなら第三身分の勝利である。
ネッケルは、財政と道徳について3時間論じた。「公共の道徳もなく、個人の道徳もなければ、そこからはなにも生まれません」。とはいえネッケルは、全国三部会なしで済ませ、専制を続けるために国王が手にしている手段を破廉恥にも列挙したのである。そうである以上、三部会は単なる贈り物であり、その好意は与えることも取り消すこともできるということになる。
ネッケルは不用意にも、国王が心配されていると漏らした。そして二つの特権身分に、みずからの自由意志で犠牲を払ってもらいたいという願望を語った。ただし第三身分に合流したのちに、公共の利害という問題について議論することになるかもしれないが、と付け加えた。これは危険なほのめかしだ!これまで大臣は、ひとたび大領主の豊かなふところから税金を引き出すことができるようになれば、諸身分の合流などにこだわることはなかったのだ。そうなれば特権身分は見せかけの多数派であり続けることができたのだ。すなわちこの二つの身分は一つの身分に対抗して結束し、改革を妨げることができたのである。そんなことはどうでも良いことだ!破産が回避され、食糧不足が収まり、世論が再び眠りこければ、権利、安全といった問題は先延ばしにされ、不平等と専制が強化され、ネッケルが引き続き政権を担当するか、あるいは一度危機を脱した宮廷がこのセンチメンタルな銀行家をジュネーブに送り返すことになるのである。
ネッケルは不用意にも、国王が心配されていると漏らした。そして二つの特権身分に、みずからの自由意志で犠牲を払ってもらいたいという願望を語った。ただし第三身分に合流したのちに、公共の利害という問題について議論することになるかもしれないが、と付け加えた。これは危険なほのめかしだ!これまで大臣は、ひとたび大領主の豊かなふところから税金を引き出すことができるようになれば、諸身分の合流などにこだわることはなかったのだ。そうなれば特権身分は見せかけの多数派であり続けることができたのだ。すなわちこの二つの身分は一つの身分に対抗して結束し、改革を妨げることができたのである。そんなことはどうでも良いことだ!破産が回避され、食糧不足が収まり、世論が再び眠りこければ、権利、安全といった問題は先延ばしにされ、不平等と専制が強化され、ネッケルが引き続き政権を担当するか、あるいは一度危機を脱した宮廷がこのセンチメンタルな銀行家をジュネーブに送り返すことになるのである。
続く
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