5月6日、第三身分の議員たちは大広間を占拠した。ドアに詰めかけていた群衆が、待ちきれなくなって、議員たちの後を追いかけてきた。
貴族も、聖職者も、それぞれに自分たちの会場に落ち着いた。そして時を置かずに、議員としての資格を身分ごとに審査すること、審査は身分ごとの会議の中でおこなわなければならないことを決議することにした。貴族の中では圧倒的多数意見となったが、聖職者の中ではぎりぎり過半数であった。司祭の大部分は、第三身分と合流することを望んだのである。
大多数を成し、大広間の主人となった第三身分は、「他の二身分が合流してくるのを待つ」と宣言した。この広い議場の空席は、二身分の欠席を告発しているように見えた。議場そのものが語っているのである。
諸身分の合流の問題は、他身分の議員すべてに及ぶことである。議員数がすでに他の身分の二倍である第三身分の場合は、おそらく貴族のおよそ50名と司祭の100名近くを獲得するだろう。そうすれば他の二身分を圧倒的多数によって支配し、全てにおいて二身分の裁判官となるのである。特権は、特権を打ち立てた者によって反対と判断される!判定の結果は明らかであろう。
それ故、第三身分は、聖職者と貴族を待った。気力を維持し、辛抱強く、不朽不滅のものでもあるかのように待ち続けた。特権身分は動揺した。彼らは遅まきながら、もっとも強大な特権身分であり、自分たちの本来の中核である国王の方に顔を向けた。かつては、自分たちが動揺を与えた国王に。こうしてひと月以上にわたって待機が続く中で、事態は親近さに従って次のように分類されていく。ひとつは特権身分と国王、もうひとつは議会と人民である。
議会は人民とともに存在し、人民と語り、その扉は大きく開かれている。まだ何の障壁もない。パリがヴェルサイユに来て、議員とごちゃまぜに議場にいるのである。街道という街道に情報網が出来上がり、絶えることのなく情報の伝達がおこなわれていた。パリの選挙人集会でも、パレ・ロワイヤルにおいて、騒然とするなか不定期に、民衆によって開催された集会でも、絶えず議員に新しい情報を求めた。そしてヴェルサイユから来た者は誰でもつかまえて、貪るように質問した。宮廷が次第に苛ついてきて、自分たちの周りを軍隊で固めるのを見た第三身分は、防衛手段として、それを聞きつけた民衆へ、そして王国の隅々までそのことを伝える新聞の存在しか思い浮かばなかった。三部会が開催されたその日、宮廷は新聞の弾圧を試みた。参事会は、ミラボーが発行していた新聞「全国三部会」を発行禁止にするよう布告した。また他の布告によって、定期刊行物を許可なく発行することを禁じた。こうしてこの数ヶ月休止したかのようにおとなしかった検閲が復活する。そして議員たちと、彼らを代表として派遣した人びととの間に必要不可欠になった情報の伝達網を守ろうと再起し、結集した国民と対峙するのである。ミラボーは意に介することなく、「我が選挙民への手紙」という表題で発行を続けた。まだ陳情書を作成中であったパリの選挙人集会は作業を中止し、参事会の布告に対し全会一致で抗議した(5月7日)。全国的な問題にパリが介入した最初のアクションである。この出版の自由という重大かつ本質的な問題が、一挙に噴出した。宮廷は、すぐにも大砲や武器を集結させるかもしれなかった。それ以来、より強力な大砲、新聞という大砲が人民の耳に轟き、王国全体に響き渡った。
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