5月7日、第三身分はマルーエとムーニエの提案に従い、聖職者と貴族に対し、議場に来るよう働きかけるために数人を派遣することにした。貴族身分は一歩進めて、自分たちで議会を構成した。聖職者身分はさらに分裂を深め、ますます臆病になり、成り行きを見守ることにした。それに高位聖職者は、時間をかければ司祭たちを味方にすることができると信じていた。
6日が無駄に過ぎた。5月12日、ニーム選出のプロテスタントの議員で、セヴェンヌの老殉教者の息子であるラボー・サン・テチエンヌが、合流に導くため話し合うことを提案した。これを受けてブルトン・シャプリエが、それに代わるものとして、「他の身分が欠席していることに第三身分は驚いていること、合同の会議以外に会議を開催する道はないこと、議員全員の資格審査の妥当性を判断することについては、各議員が利害と権利を有すること、すなわち開かれた三部会にはもはや身分別や地方別の議員はいない。いるのは、国民の代表である。そうすれば特権を持つ議員の利益にもなるし、議員としての機能が拡大するということである。以上のことを通知すること」を提案した。
ラボーの意見がより穏健な考えだとして採用された。協議はおこなわれたが、事態をよりとげとげしいものにしただけであった。5月27日ミラボーは、前に披露した意見を再び持ち出した。聖職者を貴族から引き離すことを試みようというのである。そして平和の神の名において、聖職者を会議に参加するよう促すのである。この意見は極めて政治的であった。多数の司祭は、合同の会議が開催されるのを今か今かと待ち続けていたのである。新たな勧誘は、危うく聖職者身分の全体を巻き込むところであった。高位聖職者は、かろうじて猶予を手にした。その夜彼らは、宮殿つまりポリニャック委員会へ駆け込んだ。彼らは王妃を通じて、国王からの一通の手紙を手に入れた。その中で王は、「協議は国璽尚書と王室委員会の出席の下で再開されることを希望する」と表明していた。国王はこうして聖職者の第三身分への合同を妨げ、自身が特権身分の代理人であることを公然と示した。
国王にふさわしからぬこの手紙は、緊張の種をまく罠であった。もし第三身分が受け入れたならば、国王は会議の裁定者として、参事会の決定によって問題点を押さえ込むこともできるし、諸身分は分離したままになる。もし第三身分のみが拒否し、他の身分が受け入れたなれば、第三身分は議会全体の不活動の忌まわしい責任を負わねばならない。この貧窮と飢餓の時に、第三身分のみが、国民を救済する一歩を踏み出すことを望んでいないということになるのである。ミラボーはこれが罠であることを示しながら、騙されたふりをして巧妙に抗議しながら協議を受け入れることを議会に提案した。
また新たな罠である。この協議の中で、ネッケルは感情、寛大さ、信頼に訴えた。そして各身分が他の身分に自らの資格を立証してもらい、意見の相違がある場合には「国王が裁定」を下すという提案をした。聖職者はとまどうことなく受け入れた。もし貴族が受け入れれば、第三身分のみが二つの身分に対して孤立することになる。だれがこの危機から第三身分を救うのか?平常心を失って、自分で墓穴を掘った貴族である。ポリニャック委員会* は、自分の政敵の、急場しのぎの提案には耳を貸さなかった。貴族身分は、国王の手紙を読む前に全ての妥協の道を塞いで、身分ごとの討議、そして他の身分の決定に対する各身分の「拒否権」が、君主制の構成原理であると決議したのである。ネッケルの案は、穏健派の貴族の多くの心を捉えていた。異才ではあるが、粗野でで思慮に欠けた受爵の二人、カゼルとエプレメスニルが問題をもつれさせ、ついにはこの救済の最後の手段を遠ざけてしまった。つまり国王が難破中の彼らにさしのべた救助板を拒絶したのだ。(6月6日)
* ポリニャック夫人を中心とした廷臣たちのグループを指す。
スポンサーサイト
trackback URL:http://billancourt.blog50.fc2.com/tb.php/396-e360c152