
宮城県内の瓦礫の中をさまよる生存者たち
「日本ができるだけ早く復興するためには、助けが必要だ」仙台の近くに住むナルミ・アキラ
地震の日、ナルミ・アキラは仙台と石巻の間に位置する、人口5万人の小都市、塩釜にいた。この都市の市役所は数日前、約1万人の住民が行方不明になると推定した。昨日この青年は、家族の消息を把握しようと、自転車で石巻にたどり着いた。「私の母と3人の兄弟は無事です。しかし父の消息がいまだにわからない。地震があった時、自動車で移動中だった」と、アキラは父親の身を案じた。「父は糖尿病で、十分な薬と食料をもっていたかわからないんです」。この被災地でたびたび耳にするのは、食糧の問題である。
私は婚約者と、とても遠くにある大型食料品店まで行きました。開店時間に着いたのですが、すでに1キロ以上の行列ができていました。中に入るには、7,8時間!待たなければならないと店員のひとりが言いました」。雪と寒さのなかで、ふたりは諦めた。しかしかれらは、優しい隣人に恵まれた。「お隣の人が、食べるものをくれたんです。今のところは大丈夫です。しかし明日また、食料を探しに出かけなければなりません」。
アキラに放射能漏れ(南へ100キロ足らずのところに、福島原子力発電所がある)を不安に思うか聞くと、苛ついた表情を見せた。「私たちは、放射線より食料の不足の方が、心配なんです。放射能漏れにあまりにも注意が向きすぎていると思います」。現地では、できる限り自分でなんとかしなくてはならない。「たとえ沿岸部が大きな被害を受けたとしても、塩釜はそれほど酷くはないんです。水と食料を提供するのは、役所と企業の視点しかありません。自衛隊は、最も酷い状態にある、気仙沼と石巻を救援中です」。
青年は、復興するには時間がかかることを承知していた。そしてフランスに特別にやって貰いたいことがあると言った。「私は、フランスの牡蠣がウイルスで全滅したとき、宮城が牡蠣を提供したことを知っています。今度は私たちに同じことをやっていただければ、こんなに素晴らしいことはない。日本ができるだけ早く復興するには援助が必要なんです」。
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