
球技場内部
17日の夜、ドゥ・ラロシュフーコー枢機卿とパリの大司教といった聖職者の指導者がマルリまで馬車を走らせ、国王と王妃に嘆願した。19日、貴族の広間で無益な諍いが起こった。オルレアン公爵が第三身分に合流することを提案し、モンテスキューが聖職者との合同を主張したのである。同じ日、司祭のリーダーが大多数を引き連れて、第三身分に合流するために移動した。聖職者身分は二つに分裂した。枢機卿と大司教はその夜、再びマルリに舞い戻り、国王の膝にすがりついた。「もう信仰はお終いです!」次に高等法院の連中がきた。「もし三部会を解散しなければ、王政は崩壊します」。
危険をともなう選択は、すでに不可能である。潮は刻々と満ちているのだ。ヴェルサイユが、そしてパリが沸騰している。ネッケルは自分の計画が唯一の打開策であると、2、3人の大臣、そして国王をも説得した。19日、金曜日の夜の最終意志決定の閣議で、主席者はもう一度ネッケルの計画に目を通した。討議が全て終了し、合意がなされた。宮廷の使用人の一人が入って来るのが見えたとき、ネッケルは「財布の口は、もう閉じられましたぞ」と言った。ネッケルがなにごとか囁くと国王陛下は即座に立ち上がり、大臣たちにそこに残るよう命じた。「ドゥ・モンモラン氏が側に座り、私にこう言うのです。『もう手の打ちようがありません。あえて三部会を中断させることができたとすれば、王妃だったでしょう。王弟の方々が、王妃を取り込んでおられたようだから』と」。
全ては膠着した。それは誰もが予測できたことではあるが。国王も、ヴェルサイユから、そして人民から遠いマルリに居を移すことになった。王妃と二人きりになったのである。そこで王太子の死にいっそう感傷的になった国王は、その苦しみを共にする王妃に対してますます弱腰になっていく。僧侶が暗示を与える、まさに絶好の機会でもある。王太子の死は、国王がプロテスタントの大臣[ネッケルのこと-訳注]の危険な改革に同意を与えたことにたいする、神の摂理による厳しい審判ではなかったのか?と。
国王はまだ逡巡していた。しかしもはや敗北に近い状況で、聖職者が第三身分に合流するのを防ぐには、翌日の土曜(6月20日)の議場閉鎖を命じることで満足せざるを得なかった。月曜に王室会議を開くために必要な準備という口実で。
全ては夜のうちに決められ、朝の6時にヴェルサイユの街中に貼り出された。国民議会の議長は、議会が開催できないことを偶然に知った。議長が通知を受け取ったのは7時を回っていた。しかもそれは国王の手紙ではなく(本来ならば、議会の議長にたいし国王が自ら手書きで書くものだ)、儀礼長である若造のブレゼの通告のみである。しかも議長宛ではなく、バイイ氏宛で自宅に届けられた。しかしこのような通告は、議会そのものになされるべきである。バイイには、議長という立場で行動する権限はなかったのである。前日に指定した開会時間の8時、バイイは多くの議員と共に議場の扉の前に来た。歩哨に入室を阻まれ、妨害に抗議し、開会の時刻であることを告げた。幾人かの若い代議士がドアを打ち破るふりをすると、士官が部下に武器を持たせて、無条件に立ち入らせないことが私の命令だと応じた。
するとそこに、新しい我らの王たちがいるではないか。まるで言うことを聞かない小学生のように、扉の前から動かなかった。雨の中、パリ大通りの人混みの中をさまよっていたのだ。議会を開会し一堂に会することが必要だと、全員の意見が一致した。誰かが「武器庫へ行こう!」叫んだ。他の者が「メルリだ!」と応じる。そしてある者は「パリだ!」と。この最後の選択は行き過ぎだ。火薬に火をつけるようなものだ。
議員のギヨタンが、無難な意見を述べた。旧ヴェルサイユへ行こう、そしてそこにある球技場にひとまず落ち着こうというのである。うら寂しく、煤けて、中はがらんどうの、みすぼらしい建物である。しかし今は、そこを良しとするしかないのだ。 そこでは議会もまた貧相に見える。そうであるだけに一層、この日の議会は人民を代表しているのである。議会は一日立ち続けでおこなわれた。そこには木製のベンチが一つあるだけである。それはさながら新しい宗教の飼い葉桶のようであり、またベツレヘムの牛小屋のようでもある。
聖職者の合流を決定づけたあの剛胆な司祭の一人として名高い、かのグレゴワールが時を経て、帝国が非情にも彼の生みの親である革命を葬ったとき、ポール・ロワイヤルの廃墟を見に幾度もヴェルサイユの近くを訪れた。ある日(おそらく記憶を蘇らせて)彼は球技場の中に入った。一つは壊され、もう一つはうち捨てられていた。何事にも動じない不退転の、この男の目から涙がこぼれ落ちた。人の心にとって、涙を流すべき宗教は二つはいらない!
1846年に、我々もこの自由の立会人、自由の最初の言葉がこだまのように繰り返し聞こえるこの場所を訪れてみた。自由の記念すべき誓いを受け入れ、今なおそれを見守っている球技場を。しかしこの球技場に何を言えばよいのだろうか?球技場が生み出した世界のその後について、我々はどのような報告をしたらよいのだろうか?あぁ!時は歩みを速めてはくれない。世代は変わっても、我々の事業はほとんど進んでいないのだ。畏敬を覚えながら敷石の上に足を置いたとき、我々の今の有り様に、我々がほんの僅かしかなしえなかったことに思いが到り、恥ずかしさに胸が締めつけられたのだ。そして我々はここにいる資格がないのではないかという思いを抱きながら、神聖な場所をあとにしたのである。
第1巻第3章 終わり
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