ローマ・ベルリン枢軸の形成(1937年)1937年10月4日、Duce[ムッソリーニは自分のことを首領と呼ばせた-訳注]のミュンヘン訪問の際に組織されたナチスの行進を見る、ヒットラーとムッソリーニ。
アジアにおける日本の要求 深刻な経済危機と人口の急激な増加に直面して、1930年代、日本は軍事拡張路線に突入した。1931年、日本にとって重要な経済的利権が眠っている、中国の一地方である満州が、保護領に変わり満州国となった。1933年、
国際連盟は日本を非難したが、いかなる制裁にも踏み切らなかった。軍部の影響力がますます強まるなか、日本はドイツとイタリアに接近し、1936年から1937年にかけて、この二国と
反コミンテルン協定を結んだ。
1937年7月7日、日本は中国との戦争に突入した。北京、天津は、8月に日本軍の手に落ちた。つづいて10月に、上海も陥落した。1937年12月13日には、中国[国民政府-訳注]の首都である南京が、略奪された。蒋介石に指導された中国政府は、装備の優れた日本軍との直接対決を避け、内陸に後退した。1937年10月、アメリカ合衆国の大統領であるフランクリン・D・ルーズヴェルトは、隔離状態において孤立させることを提案した。しかしアメリカ中立主義に固執しようとする意見に拘束されて、日本の領土拡張主義を阻止する有効な措置を何ひとつとることができなかった。
ヨーロッパにおける、ドイツの武力行使 ヒットラーは、1925年に「我が闘争」の中で述べた考えに基づき、1933年からヴェルサイユ条約の上に確立したヨーロッパの秩序の解体に着手した。国民自身が自らの権利を行使すべきであるという口実をもとに、彼は民主主義と平和主義の消極性につけ込んだ。1933年10月、ヒットラーは国際連合と
軍縮会議を離脱した。1935年1月の住民投票の結果(90%の賛成票)、ザール地方 [国際連盟管理地域] が第三帝国に併合された。この結果は、ナチス体制に恰好の宣伝材料を提供した。ヒットラーは、同じ年に徴兵制を復活させ、1936年にはライン地方を武装化した。
ヒットラーは、ヴェルサイユ条約の見直しの後に、ドイツ人とみなされた国民が全員、大ドイツ帝国の中心に集まるのを思い浮かべた。1038年、オーストリアが併合された。1038年9月におこなわれた
ミュンヘン会談において、イギリスとフランスは、チェコスロヴァキアについての両国の同盟を破棄し、
ズデーデン地方の併合をヒットラーに認めた。両国の世論は、これで平和が救われたという幻想を抱いた。
第二次世界大戦の勃発 ヒットラーは、大英帝国の安泰を保障すれば、イギリスは自分がヨーロッパにおいて思い通りに行動するのを放っておくのではないかと考えた。そしてミュンヘン協定に違反して、1939年3月にチェコスロバキアに侵攻するのをためらわなかった。しかし今度は、イギリス政府は強硬な態度をとり、ついでフランスも、ポーランドを含めた、ナチス・ドイツに最も脅かされている国々に保護の保障を与えた。
にもかかわらずフランスとイギリスは、ソ連を自分たちの試みに引き込むことに失敗した。ミュンヘン会談から閉め出されたスターリンは両国に不信を抱き、ソ連に対するヒットラーの野望を逸らすことを望んだ。そして1939年8月23日に、ポーランド分割の秘密事項を付加した、
独ソ不可侵条約をドイツと結んだ。二つの戦線で戦う必要がない保証をえたヒットラーは、1939年9月1日、ポーランドに侵攻した。9月3日、英仏両国は、ドイツに宣戦布告した。
<用語解説>
ミュンヘン会談―ムッソリーニが主導しておこなわれた。会談は1938年9月29日に開催され、ドイツ、イギリス、フランス、イタリアが参加した。翌日調印されたミュンヘン協定は、チェコスロバキアに位置するズデーデン地方の併合をヒットラーに認めた。
軍縮会議―国際連盟が主催して1932年2月(国際連盟に加盟していないソ連とアメリカ合衆国も参加)から開催された。会議は、フランスと、権利の平等を主張するドイツとの間の意見の対立を克服するに到らなかった。ドイツは1933年、軍縮会議から離脱し、国際連盟を脱退した。
反コミンテルン協定―1936年11月25日に、ドイツと日本の間で調印された。これは、共産主義インターナショナル(コミンテルン)を指導するソ連に敵対するための協定であった。1937年11月に、イタリアも参加した。
独ソ不可侵条約―1939年8月23日に、ドイツとソ連の間で調印された不可侵条約。ポーランドとバルト諸国において、お互いの勢力圏の分割を目的とした秘密議定書を含む。
国際連盟―ヴェルサイユ条約の後に設立された機関。目的は、集団安全保障の原則(国家間の平等、国際関係の透明性)に従って、平和を維持させることである。
ズデーデン地方―ドイツと国境を接するチェコスロバキアの地方で、300万人のドイツ語を話す少数派の住民が居住する。そしてこの住民たちが、ドイツへの併合を要求した。
これはフランスのLycée 1(日本の高校2年に相当)で使われる文学・社会経済コースの仏独共同教科書です。
スポンサーサイト
trackback URL:http://billancourt.blog50.fc2.com/tb.php/559-22b5dbf5