
中国における日本の進出
■日本とそれまでに併合された領土
■満州の併合
中国における征服■1933年
■1935年
■1937年
→日本の侵攻
ミュンヘン会談の前日、それは「致命的な幻想」であった イギリスとフランスの圧力で、チェコスロバキアを分割することは、西洋デモクラシーがナチスの前に全面降伏することに等しい。[・・・]このような腰砕けは、平和も安全保障ももたらさない。[・・・] それどころか、英仏をさらに弱い立場に、危機的な状態におくことである。チェコスロバキアが無力化するという単純な事実は、西部戦線を圧迫するドイツの25師団を放し飼いにすることである。この小国を餌にしてオオカミに与えることで、安全保障をえることができると信じ込むことは、致命的な幻想である。
当時、保守党の代議士であったウィンストン・チャーチルの演説、1938年11月21日
独ソ不可侵条約、1939年8月23日第1条 両締結国は、すべての暴力的行為、すべての攻撃的策略、一方の他方に対する全ての攻撃を保留することを約束する。このことは、他の勢力との関係においては無関係である。
第2条 締結国の一方が第三の勢力の攻撃目標となった場合、他方はこの第三の勢力に対し、いかなる支援も与えないことを約束する。
第3条 今後、両締結国の政府は連絡を密にし、共通の利害に関わる問題については、相互に協議し情報を与える。
第4条 いずれの締結国も、一方の締結国に、直接にせよ間接にせよ敵対するいかなる勢力にたいしても協力しない。
秘密議定書
バルト諸国(フィンランド、エストニア、レトニア、リトアニア)に属する領土についての領土政策に変更があった場合には、リトアニアの北の国境を、ドイツとソ連の勢力範囲の境界線とする。
ポーランド国の領土についての領土政策に変更があった場合には、ドイツとソ連の勢力圏は、おおむねナレフ川、ヴィスワ川、サン川によって分けられる。
ヨーロッパの南東については、ベッサラビアに関わる利害にソ連が強調する。ドイツとしては、これらの地域についてはまったく関心をもたないことを断言する。

「ザールは自由である」

ザール地方の住民投票に向けての宣伝ポスター
<学習の足跡>
1.ミュンヘン会談の前日に対するチャーチルの論拠は何でしょうか?ミュンヘン会談の時、フランスとイギリスはどのような態度をとったでしょうか?この歴史が示す事例から、あなたはさらなる教訓を引き出すことができますか?(資料

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2.この公式文書の中で、調印者はどんなことを確認しましたか?秘密議定書は、どんなことを予定していますか?ヒットラーとスターリンの、それぞれの思惑はどんなものですか?(資料

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これはフランスのLycée 1(日本の高校2年に相当)で使われる文学・社会経済コースの仏独共同歴史教科書です。
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