

アルデンヌの突破
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「血と、苦痛と、涙と、そして労苦と」(チャーチル)
ウィンストン・チャーチル(1874年-1965年)
保守党の代議士、1939年に海軍大臣、1940年5月10日に、チェンバレンの辞職の後をうけて、首相になる。
ここ下院において、私は閣議で話した通りを語ることにします。「私には、血と、苦痛と、涙と、そして労苦以外に、与えるものがないのです」
我々を待ちうけているのは、これまで以上に辛い試練であります。我々を待ちうけているのは、数多くの、そして長くつづく戦いと苦しみです。
あなた方は問うでしょう。我々の方針とは何だ?と。私は次のように答えましょう。それは、陸でも、海でも、空においても、あらゆる力を出し切って、神が我々に与え給うた力をもって、戦いを始めることだと。暗黒の悲惨な犯罪史において比類の無い、おぞましい暴虐との戦いを始めることだと。
あなた方は問うでしょう。我々の目的はなんだ?と。私は一言で、次のように答えましょう。それは勝利である。どんな犠牲を払っても勝ち取らなければならない勝利であり、恐怖をものともしない勝利であり、我々をそこに導く道がいかに長く辛いものであっても、勝ち取らなければならない勝利であると。なぜならば、勝利なしには生き延びることができないからです。
下院におけるチャーチルの演説、1940年5月13日
バルバロッサ作戦の始動ロシアの排除は同時に、アジアの東部に位置する日本に、計り知れない安堵をもたらすことを意味するのです。その結果、日本の介入によって、アメリカの行動にたいし極めて強大な脅威となる可能性が生まれることになります。以上の状況から、私はクレムリンの偽善的な態度にけりをつけることにしました。[・・・] 私は、これが大きな成功をもたらすということに確信をもっています。私は、とりわけウクライナに補給基地を確保できることを望んでいます。
頭領閣下、最期にひとことだけ言わせてください。このことを決して以来、あらためて私は、心の中が自由になったのを感じました。ソ連との連携は、多くの点で私の出発点、私の考え、そして私が以前抱いていた義務と矛盾するように思われたのです。心の苦痛から解放されて、私はいま幸せです。
ヒットラーからムッソリーニへの手紙、1941年6月21日

パール・ハーバーの結果
我々の敵は、粗暴なる冷笑と、人種に対する深刻なる軽蔑に突き動かされているのです。我々は、創世記第1章にある「神は、自らの姿に似せて人間をつくり給うた」時まで遡って、信仰の導きを得るのです。我々の陣営においては、神が我々に残し給うた遺産に忠誠を誓うために闘うのです。我々は、我々の父親たちが闘ったように、人はみな神の前に平等であるという教えを守るために闘うのです。敵の陣営では、人はこの深い信仰を打ち砕き、彼らの考える世界、すなわち暴虐、残酷、隷属が支配する世界をつくるために闘うのです。
今後この戦いが、我々の生活を日夜にわたって束縛します。善と悪との間の妥協など決してあり得ないのです。完全なる勝利のみが、寛容、モラルの価値、自由、信仰の擁護者に報いることができるのです。
フランクリン・デラノ・ルーズヴェルト、年頭教書演説、1942年1月6日
<学習の足跡>
1.アルデンヌの戦闘は、戦争の実践における変化をどのように証明しているでしょうか?(資料

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2.この演説をすることによって、チャーチルは何を目指そうとしましたか?(資料

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3.ヒットラーは、なぜソ連を侵略することを決断したのですか?(資料

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4.ルーズヴェルトは、アメリカの参戦を正当化するために、どのような表現をしましたか?(資料

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これはフランスのLycée 1(日本の高校2年に相当)で使われる文学・社会経済コースの仏独共同歴史教科書です。
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