
スターリングラードにおけるドイツの敗北

1943年に作成された、ソ連の戯画。

大西洋憲章
1941年8月14日、戦艦プリンス・オブ・ウェールズの艦上で、アメリカとイギリスの間で調印された正文には、将来の平和についての基本的な原則が書かれてあった。
会見したアメリカ合衆国大統領と英連合王国女王陛下の政府を代表するチャーチル氏は、両国の国策に共通する原則、世界にとってより良い未来の希望を築くべき原則を明らかにすべきと認識した。
第1条 両国は、いかなる領土の拡大も求めない。[・・・]
第3条 両国は、すべての人民が、その下で生きたいと願う政府の形態を選ぶ権利を尊重する。両国は、武力によって奪われた主権と諸国民の独立した政府が再建されることを望む。
第4条 両国は、貿易と経済的繁栄に必要な原料が、国の大小にかかわらず、また勝者や敗者にかかわらず、権利において平等に、すべての国に開かれるよう、最大限の敬意を払って努力する。
第6条 両国はナチスの虐政を打ち破った後、国境で守られた自分たちの領土で安全に生きる手段をすべての国民に提供し、不安と窮乏のない日々を終えることができる保証をすべての国民にもたらす、平和が再建されることを望む。

チャーチルの演説(1942年10月15日)
スターリングラードの英雄的な防衛戦、輝かしいソ連軍がいたるところに、無傷で、堅固で、無敗のまま存在するという事実、同様にそのソ連軍が、レニングラードからコーカサスにいたる長大な戦線において、驚くべきエネルギーをもって反撃しているという事実、そしてドイツ軍によるおびただしい犠牲者の数、二度目のロシアの冬の到来、―同時にヒットラーに身を隠させ、すでにイギリス空軍によって繰り返され、次第に激しさを増す攻撃のもとに呻き戦慄するドイツ軍を、恐怖に陥れているという事実。
ドイツ人は今、自分たちにこの困難のすべてをもたらした人物に、冷ややかなまなざしを向けている、彼らのまなざし、それは語ることをしないからであるが、彼らの目は帝国の指導者に向けて、次のような恐るべき問いを投げかけているのだ。「なぜ兵士を、あんなところまで連れて行ったのだ?」「なぜ、ロシアを侵略しに行ったのか?」

D-Day―ノルマンディ上陸(1944年6月6日)

1944年6月6日朝、オマハ・ビーチに上陸するアメリカ兵を乗せた上陸用舟艇。ほぼ8,000隻の船に分譲し、10,000機の飛行機の援助を受けて、15万人の兵士がノルマンディに上陸した。
<
学習の足跡>
1.戦時におけるソ連の宣伝は、どのようなエネルギーに賭けていたのだろうか?ここに、スターリニズムの特徴の一つを見ることができるか?(資料

)
2.大西洋憲章は、どんな背景から生まれたか?戦争の目的は何か?将来の平和の形成について、どのように述べているか?(資料

)
3.スターリングラードにおけるソ連の勝利は、現代の人はどのように解釈するだろうか?(資料

および

)
4.第二次世界大戦中の上陸作戦がもつ重要性について説明しなさい。(資料5)
これはフランスのLycée 1(日本の高校2年に相当)で使われる文学・社会経済コースの仏独共同教科書です。
スポンサーサイト
trackback URL:http://billancourt.blog50.fc2.com/tb.php/566-0c7d9bcb