大連合の勝利者は、平和への復帰をどのように展望したか?
デモクラシーの勝利? 戦争の期間中、枢軸国は意見の違いを乗り越え、敵に対して共同戦線をつくりあげることに成功した。ソ連はアメリカの援助を、貸し借りの名目で受け入れた。その見返りとして、スターリンは1943年6月に、コミンテルンを解散した。しかし連合国は、将来の平和の構築については大きく意見を異にした。アングロ-サクソンが、デモクラシーの原理が優勢を占めるのを願うのに対して、スターリンは、ナチズムに対する戦いでソ連が手にした威信を使用して、赤軍が占領する国々における影響力の下におくことを望んだ。
1945年2月の
ヤルタ会談 で三大国は、人民は自分の国の政府を自由に選択できることを明言する、解放されたヨーロッパについての声明を練り上げていた。スターリンは、東ポーランドのソ連への併合に加え、将来のポーランドの政府は、親ソ連のリーダーたちによって構成される
ルービン委員会 が担う約束を得た。だからといって、ヤルタ会談は「世界の分配」ではない。ルーズヴェルトは、ソ連の対日参戦を願っていた(ソ連が参戦するのは1945年8月8日まで待たねばならなかったが)。そして1945年4月25日にサン・フランシスコで開会についての会議がおこなわれる、新しい国際連合の中心に、ソ連を組み入れることを望んでいた。
別の視点からのヨーロッパ 戦争は、参戦したヨーロッパ植民地帝国において、異議申し立てを増大させた。アジアではインドシナやインドネシアなどで、日本が独立を約束し民族解放運動を励ました。インドでは1942年8月、
国民会議派 がイギリスの支配の終焉を宣言する決議「インドを立ち去れ」Quit Indiaを決議した。連合軍の北アフリカ上陸の直後、モロッコの民族主義者たちが独立党(イスティクラール)の下に結集し、同じ頃Ferhat Abbas が「アルジェリア人民宣言」を起草した。
しかしフランスやイギリスが植民地支配の維持を優先し続けたとしても、いくつかの国はヨーロッパを再建する他の道すじを構想していた。1942年、ロンドンに亡命中のベルギーの外相である社会党のポール・アンリ・スペークは、後に
ベネルクス 三国で始まる、経済同盟を提案した。1944年7月には「ヨーロッパ・レジスタンス宣言」がジュネーヴで採択され、古いヨーロッパに平和と民主主義を再建する目的の「ヨーロッパ人民の連邦的統合の創設」を提案した。
悲嘆にくれる人類 今日世界は、5千万人を超える戦争の犠牲者を襲った悲運を思い、その死に涙する。民間人の犠牲者の割合は、第一次世界大戦のそれを遥かに超えた。それは爆撃、拉致者の処刑、レジスタンス、そしてヨーロッパのユダヤ人の4分の3を絶滅させた
ゼノサイド によってもたらされた。
ヒロシマとともに、世界は核の時代に入った。にもかかわらず1945年、原爆投下が、スターリンの東ヨーロッパの衛星国化を思いとどませることはなかった。そして今度はソ連が原爆を保有したときも、後に気づくことになる深刻さを認識することはなかった。強制収容所が開放されていくにしたがって、世界は戦争のもたらした恐怖を目にした。1945年1月27日ソ連軍がアウシュヴィッツ強制収容所に、そして4月にはアメリカ軍がオールドルフ強制収容所に入った。4月12日にこの収容所を訪れたアイゼンハワー元帥は、次のように語った。「アメリカ兵は、何のために自分が闘っているかわからないという人がいる。今ここで、すくなくとも自分が何に対して闘っているのかを悟るだろう」。
<用語の説明>
ベネルクス三国―1958年に経済同盟を形成することを決めた三国(ベルギー、オランダ、ルクセンブルグ)の国名の縮音。
ルブリン委員会―ロンドンに亡命中のポーランド政府に対抗させる目的で、スターリンがつくった国民解放委員会。共産主義者が指導したが、ヤルタ会談では「他の民主主義諸党」にも門戸を開くことになっていた。
ヤルタ会談―1945年2月4~11日に、クリミア半島で三巨頭が集まり、とくにドイツ占領区域の区割り、オーデル・ナイセ線 [ドイツとポーランドの国境線-訳注] における国境の確定、国際連合安全保障常任理事国の拒否権の付与について決めた。
国民会議派―1885年に創立されたインドの民族主義政党。ガンジーを含む、党の指導者たちは、1942年8月にイギリス人によって投獄された。
<鍵となる概念>
ジェノサイド ―ある国民、民族、宗教のグループのすべてあるいは一部分を全滅させる意図のもとに犯す行為(1944年につくられた用語)。
自由のために闘う国際連合
1942年5月に、アメリカで作成されたポスター
これはフランスのLycée 1(日本の高校2年に相当)で使われる文学・社会経済コースの仏独共同教科書です。
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