1943年12月1日、テヘラン会談における三巨頭
ヤルタ会談―「世界の分割」? ヨーロッパの秩序を確立し、国民経済を再構築するためには、まず人々がナチズムやファシズムの残滓をすべて取り除き、自分たちの意思で民主的な制度をつくることができるようにすることである。そこに大西洋憲章の原理―すべての国民が、その下で生きることを望む政治体制を選択する権利―、主権および侵略者の支配によって奪われていた国民のための自治政府の復元がある。
解放された人々が権利を行使できる条件を整えるために、三国の政府は、ヨーロッパの解放されたすべての国民を共同して援助する。
a)国内の平和の条件を整える。
b)窮乏にある国民を救うための応急措置をとる。
c)これらの国民がもつ民主主義的な部分をすべて、そして広く代表する臨時政府と協議しながら、自由選挙によってできるだけ速やかに、国民の意思を体現した政府を発足させ、この選挙が必要なすべての国を援助する責任をもつ。
解放されたヨーロッパの宣言(1945年2月11日)、Edward Stettinius* の「ヤルタ会談―ルーズヴェルトとロシア」にあるヤルタ協定全文からの抜粋
* ルーズヴェルト、トルーマン両大統領のもとで国務長官を務めた。
広島、核時代の到来
1945年8月6日、アメリカの爆撃機であるB29「エノラ・ゲイ」による大型爆弾の投下から2ヶ月後の広島。1945年12月までに14万人が死亡、その後も死者は数万人におよぶとされている。
「インドをから立ち去れ」Quit India決議(1942年8月) 帝国を保持することは、帝国の力を増大させるどころか、重荷と非難の対象になることである。そして現代植民地の典型であるインドは、面倒の種となる。なぜならインドの解放は、イギリスと国際連合との問題であるとみなされるし、アジアやアフリカの人民は、そこに熱狂と希望の源泉を見るからである。
それ故、イギリスによるインド支配の終焉は、必要不可欠であり根源的な問題である。この問題の解決は、戦争の行方と、自由と民主主義の勝利にかかっている。自由なインドは、勝利にとって最も確実な担保を提供するであろう。だから自由なインドは、それがナチズムであれファシズムであれ、あるいは帝国主義であれ、侵略にたいして全力で闘う。これは戦争の帰趨に影響を与えるだけでなく、国際連合の側で抑圧されている人類すべてを結集させるのに役立つことでもある。国際連合は、連合国に味方するインドとともに、世界を精神的、倫理的に牽引するリーダーの資格を主張することができるのである。反対にインドの隷属状態が続くかぎり、イギリスの帝国主義としてのイメージは変わることなく、そのことが国際連合それ自体を汚すことになる。[・・・]
インドの解放は、外国の支配下にある他のアジア諸国の開放のシンボルとなり、端緒となるにちがいない。ビルマ、マレーシア、インドシナ、インドネシア、イランそしてイラクは、この完全なる自由を手にするにちがいない。日本の支配下に置かれている国々は、もう植民地主義勢力には支配されてはならないことを理解するにちがいない。
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学習の足跡>
1.戦争の合間に連合国が選択した、来るべき平和のための基本的な決定はどのようなものであったか?ヤルタ会談は、「世界の分割」であるということができるか?(資料

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および

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2.アメリカはなぜ、核兵器を使用することを決断したか?広島の原爆投下は、人類史における転換点を象徴しているか?(資料

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3.戦争を背景とした反植民地主義の論拠を説明しなさい。(資料

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これはフランスのLycée 1(日本の高校2年に相当)で使われる文学・社会経済コースの仏独共同教科書です。
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